音小屋・音楽ジャーナリストコース(小野島講座)

音小屋・音楽ジャーナリストコース(講師・小野島大)の受講生の作品を掲載していきます

フジファブリック『SINGLES 2004-2009』(2010)

フジファブリック『SINGLES 2004-2009』

 2年前くらいまで、そうなりたいという気持ち
から、特別な人ぶった事をしていたと思う。自分
は才能があって、クリエイティブで、的を射た事
を言えるんだ、と一生懸命アピールしていた。そ
ういう人がかっこいいと思っていた。でもふいに、
「あの人は特別、私は普通の一般人」という事に
気付く時、それを無性に悲劇かのようにとらえて
しまって、結構それで高校生の時憂鬱だった。そ
の苦しさから抜け出せたきっかけは、フジファブ
リックの『SINGLES 2004-2009』だ。2010年6
月に発売されたもので、それまでのシングル曲を
全て網羅した初のベストアルバムである。これが
フジファブとの出会いの1枚となった。

 初めて聞いた時はあまり印象に残らなかった。
素朴でどこか懐かしい雰囲気のサウンド・ポップ
なメロディに、意表をつく独特なイントロや謎の
転調(くるり岸田は初めてM4『銀河』を自身の
ラジオで流した時、その独特さ故に「決してラジ
オでは鳴らないような、けったいな音楽を聞いた
気がした」らしく、そこからフジファブに惹かれ
たようだ)。そういう普遍性と独自性が同居した
楽曲が、気付いたらクセになっていた。


 M1からM4までの4曲は春夏秋冬をコンセプトに
作られた曲。他にも『茜色の夕日』や『若者のす

べて』等、音楽好きなら多くが知っているであろ
うフジファブの名曲が名を連ねる。


 楽曲の良さもさながら、フジファブがここまで
熱烈な支持を得ている理由は歌詞にあるだろう。
私は、この名曲たちに通づる「どうしようもなさ」
に心打たれた。例えばM6は、夕日によってふと
思い出されたどうしようもなく悲しかったことを、
M3は、季節がすぎていくのを感じるが<期待は
ずれなほど感傷的にはなりきれず>と、思い通り
にいかない様子を歌う。


 少し分かりづらい事を言う。季節とか、自然現
象とか、自分がコントロール出来ない事によって
ふと考えさせられる事が、もう自分じゃどうしよ
うもないことって、かなりの絶望だと思うのだ。
それこそ突然起こる絶望という意味で自然災害だ。
しかし誰にでもそれは起こりうる。出来れば考え
たくないけど、ふと考えざるを得ない時が、出来
れば起こってほしくはないけれど、突然起こる事
が、こっちの都合などおかまい無しにやってくる。
例えば突然大切な人が死ぬとか。

 

 ため息しかでない、けど時は進むし、自分は生
きていかなきゃいけない。その、解決も納得も出
来ないやりきれなさに立ち尽くす自分の姿を歌う
志村の音楽は、とても美しかった。生きていく為
に不条理を受け入れる力を感じたからである。私
はその時、ごく普通の自分を、そのまま受け入れ
る事ができる気がした。


 人間が普通に持っている特別な力、生きていく
力。その大切さに気づかされたフジファブリック
との出会いだった。(柳下かれん)

任意のアーティストのファースト・アルバムのレビューを書く

 音楽ライターの小野島大です。雑誌『MUSICA』の鹿野淳氏が主宰する音楽メディア人養成講座「音小屋」の「音楽ジャーナリストコース」の講師を2013年8〜9月(2013年夏期)、11月〜2014年3月(第6期)、8月〜9月(2014年夏期)の3回にわたってつとめました。


 このブログは、その受講生たちが実際に書いた作品を掲載し、広く一般の方々にも読んでいただく目的で作られました。受講生の中にはすでにプロのライターとして仕事をしている人もいますが、ほとんどは、これから音楽に携わる仕事、わけても「音楽について書く」ことを目指している10代、20代の若者たちです。


 すでに第6期の最終課題として書いてもらった作品「生涯ベスト・アルバムのライナーノート」、7人8作品を掲載しています。

 今回新たに掲載するのは2014年夏期講座の受講生たちによる作品です。課題は「任意のアーティストのファースト・アルバムのレビューを書く」です。受講生たちには次のように指示しました

対象となるアルバムは、古今洋楽邦楽問いませんが、お好きなアーティストの「ファースト・アルバム」について書いてください。当然1枚しか出していない人ではなく、すでに何枚かアルバムを出している、ある程度キャリアのあるアーティストが望ましいです。そのアーティストのキャリア全体を踏まえ、ファースト・アルバムのあとの歩みや、音楽シーンの流れなども考慮にいれながら、そのアーティストの原点をもう一度捉え直してみてください。
なおバンドをいくつか経由していたり、バンドをやめてソロになった人などは、どれをファーストにするべきか、という議論があると思いますが、そこらへんの判断は各自に任せます。

 字数は22字×54行。これは雑誌『MUSICA』のディスクレビューの大枠の文字数と同じです。この課題に沿って書いてもらったのが、今回掲載した12人12作品です。

 音楽専門誌が次々と姿を消し、音楽ライターや音楽メディアの役割も大きく変わりつつある今、こうして「音楽について書く」ことに情熱を燃やす若者が少なからずいることはとても心強いことだと考えています。

 ぜひご一読いただき、印象に残るものがあれば、コメントを残すなり、Add Starを押して☆をつけてあげてください。もちろん、「彼らにぜひ原稿を書いてもらいたい」というご要望も、大歓迎です。

ひとりでも多くの人達に、彼らの文章が届くことを願っています。

作品はこちらから

 

 

The SALOVERS 『C’mon Dresden.』(2010)

The SALOVERS 『C’mon Dresden.』
 
 私にとってのヒーローはサラバーズだ。彼らの
音楽に出会ったのは、十代の音が詰まった「閃光
ライオット2009」のコンピレーションアルバムだ
った。この年の「閃光ライオット」を観に行った
わけでもなければ気になるバンドがいたわけでも
なく、SCHOOL OF LOCK!というラジオを聴き始
めたばかりだった私は、690円という安さに負け
てCDを手にしていた。そしてThe SALOVERSの
「夏の夜」という曲を聴いたのだ。“幽霊たちは
今夜も酒盛りをして後悔思い出話歌にしよう あ
いつら人間には内緒だぜ”。ゆったりと落ち着い
た歌声で少し懐かしさを感じさせるようなメロデ
ィのこんな曲を歌う彼らを、私は大人びていると
感じた。しかし、その後にこのアルバムを聴いて
その考えは覆され、ちっとも大人びてなんかいな
いじゃないかと気づかされる。大人びていると思
ったのは、大人ぶっているの間違いだった。

 彼らは等身大の音楽しか鳴らしていない。そう
感じさせたのが1曲目「China」。“僕らは何かと
差をつけたい”“僕らは何かを失いたいんです”と
歌うこの曲はどこか寂しげで、自分でもなんなの
か分からないものに必死にもがく少年の歌だと思
った。激しいノイズとシャウトのカウントからな
る「CityGirl」は歌詞を分かろうとするほどに
分からなくなる。それでも惹かれるのは、ボーカ
ル古館佑太郎の叫ぶようなしゃがれ声と、生々し
い演奏にあるのだろう。彼らの圧倒的な特徴は古
館の声だ。決して美しいとは言えないその声が聴
いているうちに愛おしいものになっていたから不
思議だ。

 彼らの曲は歌詞の意味が分からないものが多く
ある。「Night in gale」もそうだと思ってい
た。しかしこれはあの有名な看護師の歌などでは
ない。“ナイトインゲール”。夜の寂しさを歌う曲
だったのだと、言葉を一つ一つ並べたような歌詞
に気づかされる。この少年は風が強く吹く夜に、
あの娘のことを想って唄うのだ。“ナイチンゲー
ル ナイチンゲールナイト 泣いている 泣いて
いるんじゃない”と敢えて“ナイチンゲール”と歌
うところに、遊び心を感じる。

 「サリンジャー」。この曲は何回も聴いている
のにいつも鳥肌が立って高まる気持ちを覚える。
300人キャパのライブハウスで最前列で聴いたと
きのことを思い出すからだ。感情を剥き出しにし
て叫び、ただその瞬間を掻き鳴らすその姿は最高
にかっこよくて最高にダサかった。この時から、
彼らは私にとってのヒーローになったのだ。“き
っと僕らの言葉は宙を舞い 何かを求めて彷徨い
続けてる” “いつだっけ僕らは 何もないのに
 失くしたふりして迷ってる”。これが彼らのす
べてなんだと思った。自分たちの音楽がどこに行
くかも分からない。それでも彼らは鳴らし続ける。
それは、彼らがものすごく寂しがり屋で、聴いて
くれる貴方を求めるからだ。そんな弱い部分を曝
け出す彼らだからこそ、感情のままに鳴らす尖っ
たサウンドも、愛おしくさせるのだ。(八川光)

YUKI『PRISMIC』(2002)

YUKI『PRISMIC』

 ジュディマリこと、JUDY AND MARYがデビュ
ーしたのは1993年。YUKIが21歳の時。ミスチル
スピッツGLAYらが台頭した90年代のバンド
ブームに埋もれることなく、惜しまれながら2001
年に解散した。そして翌2002年には、シングル
『the end of shite』でソロデビュー、同じ年
に1stアルバム『PRISMIC』をリリースする。こ
の時YUKIは30歳。

 タイトルはYUKIの造語で、意味は「光の音」。
1曲1曲がバラバラのやりたい放題で、アルバム
としてのまとまりはない。ジュディマリの名残を
感じるロックもあれば、アコースティックギター
のバラード、エレクトロのラップ、スピッツが演
奏に参加している曲もある。その多様性から、
ジュディマリの染み付いたイメージを払拭しよ
うとしているわけじゃないよ」というYUKIの必死
さというか、戸惑いも感じる。

 それまでは「JUDY AND MARY」という型があ
った。自分のやりたいことよりも「ジュディマリ
らしさ」が最優先、ネガティブさもポジティブに
表現することが要求された。さらにその「型」か
ら外れそうになれば「そうじゃない」と指摘する
メンバーの存在もあった。だが、ソロのYUKIには
それはもうなかった。決めるのはすべてYUKI自身。
プレッシャーもある中で、我慢していた表現や感
情を手探りでとにかく詰め込んだ、30歳のYUKI
がこのアルバムなのだ。

 でもYUKIは、手探りの30歳だった自分も大事
にしている。これまでにリリースされたベストア
ルバム2枚にはいずれも1stから3~4曲選曲され
ており、特に『プリズム』はどちらのベスト盤に
も共通して収録されている。ピアノの旋律が美し
いメロディ。歌詞には「光の音に導かれてここま
で来たけど」というフレーズがある。光の音。
YUKIの1stアルバム『PRISMIC』の直訳だ。そし
て2012年の紅白歌合戦でも歌われる。2012年、
YUKIは40歳。『プリズム』はジュディマリが解
散してから1年足らずでリリースされた。YUKI
出せるキーをぎりぎりまであげてある。それを歌
うことは、ジュディマリのボーカリストYUKIが持
っていた歌唱力が、ソロシンガーYUKIとなっても、
さらには年齢を重ねても衰えていないことを教え
てくれる。それと同時に、当時の戸惑いや開放感
を懐かしみ、感謝の意を表している。

 今のYUKIは母性で溢れ、ピンクのエクステをつ
けて、ゴールドのアイシャドウをしていたジュデ
ィマリの面影は感じられない。「あたし」と歌っ
ていた歌詞は「わたし」という一人称に変化して
いった。だが、外見や考え、はたまた名字が変わ
っても、YUKIはその時の自分をそのまま歌ってい
るだけ。だからYUKIのアルバムは日記帳のようだ。
その時どんな恋愛をしていたか、どんな楽しいこ
と、悲しいことが起きたか。これからもページは
増えていく。現在YUKI、42歳。(菅野美咲)

東京カランコロン『We are 東京カランコロン』(2013)

東京カランコロン『We are 東京カランコロン』

 私が初めて見た2011年の時点でもう既に、イン
ディーポップバンドとして規格外に素晴らしい楽
曲を彼らは鳴らしていた。その時に新曲として発
表されたM-2”少女ジャンプ”という曲を聞いて、
不覚にも瞬間的に恋に落ちてしまったのを覚えて
いる。

 普段ラブソングを敬遠する人でも、押し付けが
ましい自我などから切り離された、ドキドキした
テンションだけを掬い取ってポップミュージック
に閉じ込めたこの楽曲の眩しさには多分抗えない
だろう。

 2人の優れたソングライターを中心に、非常に
高い楽曲のクオリティとコンスタントな制作ペー
スを維持してきた東京カランコロン。本作には名
曲”ラブ・ミー・テンダー”を含む『あなた色のプ
リンセス』のスマッシュヒットの後に発表された、
インディー時代のシングル2曲と今作に先立つ2枚
のメジャーミニアルバムの表題曲を含む全12曲が
収録されている。

 どの曲もライブの帰り道で歌えるような非常に
キャッチーなメロディと、その裏で変態的なフレ
ーズや独特のアイディアを過剰に詰め込んだ、手
練れの演奏陣による多彩なアレンジが特徴だ。男
女のツインボーカルがそれぞれ流動的に主旋律を
とりながら、要所では見事なハーモニーを聴かせ
てくれる。

 より多くの人へ、大きな舞台へ。彼ら自身が体
験した、90年代のメガヒットに溢れていた音楽シ
ーンの復古を標榜し、MCやインタビューでの発言
の際にも度々メジャーでの活動を強く意識した発
言をしてきた。M-1”いっせーの、せ!”の「さぁ
世界 動かせ 動いてみせよう」という言葉には、
新しいステージでも揺るがない自分達の音楽に対
する強い自信と、当時の活動における確かな充実
感が感じられる。

 リリー・フランキーや元チャットモンチーの高
橋久美子といった面々からの作詞提供を受けた曲
ではお互いの魅力を十分に引き出し合い作品に昇
華していた。特にM-9”泣き虫ファイター”のぴた
っとハマった言葉の置き方などは惚れ惚れする程
である。

 このアルバム以降は露出が増加し大舞台も経験
した彼らだが、それに呼応する様に楽曲の雰囲気
もガラリと変わる様になった。遊び心を目一杯詰
め込んでいだ歌詞とサウンドは圧倒的にシンプル
に、立ちはだかる苦悩さえも今はそのまま言葉に
乗せている。

 怖いもの知らずのインディーバンドから覚悟を
決めたメジャーのミュージシャンへ。このポップ
シーンをサバイブしてくるりのようなタフなバン
ドになれるのか、それともブレイクスルーして一
気にスターダムを駆け上がるのか。どちらにして
も更に成長する為には一皮も二皮も剥ける必要は
あるのだが、そんな大人の辛酸を舐める前の無邪
気さのような、のびのびとした自由な魅力が今作
には溢れている。(坂本正樹)

サカナクション『GO TO THE FUTURE』2007)

サカナクション『GO TO THE FUTURE』

 変わらないまま変わっていきたい。そう、楽曲
ほとんどの作詞作曲を手がける、Vo&G.山口一郎
はつぶやいた。何やらなぞなぞを出題されたみた
い。これは難題。だが、改めて1stアルバム「GO
TO THE FUTURE」を聴いた時、答えが見えてき
た気がしたのだ。なぞなぞの解答はまた後ほど。

 この未来へ進んでいくというタイトルは、自ら
を奮い立たせているように思える。それは誰もが
経験するだろう、自分は何者かというジレンマや
未来への不安、迷いといった長い夜の感情が、飾
らずに表現されているから。最近のJ-Popは、<
寂しい>を<寂しい>としか歌わない。しかし山
口の書く歌詞は比喩や言葉遊びでできている。詩
集を読み進めるように情景が見えてくるのだ。そ
して音楽。オルタナティブロックをベースに、フ
ォーキーで懐かしい温もり。そこにエレクトロや
テクノを意識したリズムや打ち込み、特徴のある
シンセが加わる。デジタルの規則的な響きに生の
バンドが混ざり合い、温かい血を通わせている。
サカナクションの源流風景を感じられる、瑞々し
い一枚だ。

 そしてこれを基盤に、彼らは変化していく。そ
の変化を目の当たりにしたのが、今年行われたツ
アー、SAKANATRIVEで披露された『三日月サンセ
ット』。身体を、会場全体を唸らせるビートと、
メンバーの燃え上がるようなプレイ。真っ赤に染
まったステージ。もうこれこそがグルーヴ感とい
うものだった。みんな思い思いに踊る踊る。縦ノ
リか横ノリかなんて関係ない。まさかデビューア
ルバムの1曲が7年の時を経て、こんなとてつもな
いアレンジとなって聴けるなんて。チームサカナ
クションと称し彼らが信頼する、スタッフ全体の
結束力の賜物であった。

 こうして改めて1stアルバムを聴いた時、この
頃は作りたい音と伝えたい言葉を、純粋に、本能
で音楽にしていると感じた。しかし彼らは、リス
ナーの求めるノリやすさやポップさを敏感に感じ
取り、融合させ、新しい音楽を作り出してきた。
この『三日月サンセット』のように私たちの期待
は裏切られ、更に上をいかれるのだ。そしてデビ
ューから様々なジャンルのフェスや紅白にも、駆
け抜けるように出演してきた。これはクラブミュ
ージックをバンドで体現するというずっと変わら
ない軸と、良い音楽を届けたい伝えたいという変
わらない思いが、ロックの躍動感を求める人にも、
ダンスフロアの高揚感を求める人にも、着実に伝
わってきた証拠だろう。

 以上がサカナクションが変わらないまま変わっ
てきた結果で、今はまだ、深化の過程。そう、私
なりのなぞなぞの答えである。(及川季節)

andymori『andymori』(2009)

andymori『andymori』

 日本のインディーロック界において注目を集め 
ていたandymoriがリリースした1stフルアルバム。
彼らの奏でるシンプルなコード進行は60年代の初
期ガレージロックを思い出させ、それに加えて優
しく甘くも感じるメロディは和製リバティーンズ
とも言われている。そんな彼らが『andymori
とバンド名をそのままタイトルにした今作は、音
楽を通して伝えたいことを詰め込んだまさに代表
作とも言える作品だ。アルバムは疾走感溢れる後
藤大樹のドラムで始まる『FOLLOW ME』でスター
ト。そこに小山田壮平の荒々しいギターが重なっ
てより勢いを増し、藤原寛の安定したベースが加
わることでバンドとしての一体感が生まれる。う
ねりのように流れ込んでくる彼らのサウンドは耳
にこびりついて離れなくなってしまう。


 andymoriの音楽を聴いていると、彼らは自身
の音楽活動に使命感のようなものをもって取り組
んでいたように感じる。それはM-12「すごい速さ」
の歌詞"でもなんかやれそうな気がする なんか
やらなきゃって思う だってなんかやらなきゃ 
できるさ どうしようもないこの体どこへ行くの
か"からも伝わってくる。胸に抱いていた何かや
らなきゃというもやもやした感情や衝動を、小山
田壮平はどうにかして伝えなければと思っていた
し、それは音楽という方法で実行された。そして
それを裏付けるかのように、彼はインタビューで
度々「自分が歌わなければ」といったことを口に
している。それは自分の音楽を聴いている身近な
ファンはもちろん、どこかでandymoriの曲を耳
にするかもしれない遠い国の人も含め、たくさん
の人を自分の音楽で救いたいということではない
だろうか。


 そんな思いの表れか、小山田壮平の書く歌詞は
いつも優しく、言葉の選びが美しい。孤独に負け
そうな時、訳もなく虚しさに襲われた時、人は俯
き自分の殻に閉じこもってしまいがちだ。しかし
歌詞には「オレンジの太陽」「青い空」「夕暮れ
の井の頭公園」といった風景描写が多く、曲を聴
いていると自分の周りには美しい世界が広がって
いるという当たり前のようなことに気づかせてく
れる。まるで隣に寄り添いそっと顔を上げてさせ
てくれるような、そんな優しい愛に溢れているの
である。また、「かくれんぼ」「コーラの瓶」と
いった単語は聴く側に幼少期の記憶を思い起こさ

せ、アルバム全体にどこかなつかしい雰囲気も漂

わせている。


 10月15日の武道館公演をもってandymoriは解
散することが決定している。確実に彼らの音楽は 

『FOLLOWME』の衝動的で感情的なものをきっか
けに始まっていたし、デビューからたった5年間と

いう活動期間をまさに『すごい速さ』で駆け抜け

た。きっとこのアルバムはandymoriというバンド

の生き様を表現した“バンドとしての最高傑作”の

]1stアルバムだと言えるだろう。
(近藤那央子)