音小屋・音楽ジャーナリストコース(小野島講座)

音小屋・音楽ジャーナリストコース(講師・小野島大)の受講生の作品を掲載していきます

「生涯ベスト・アルバムのライナーノートを書く」

音楽ライターの小野島大です。雑誌『MUSICA』の鹿野淳氏が主宰する音楽メディア人養成講座「音小屋」の「音楽ジャーナリストコース」の講師を2013年8〜9月(夏期講座)、11月〜2014年3月(第6期)の2回にわたってつとめました。

 

このブログは、その受講生たちが実際に書いた作品を掲載し、広く一般の方々にも読んでいただく目的で作られました。受講生の中にはすでにプロのライターとして仕事をしている人もいますが、ほとんどは、これから音楽に携わる仕事、わけても「音楽について書く」ことを目指している20代の若者たちです。

 

まずは第6期の最終課題として書いてもらった作品「生涯ベスト・アルバムのライナーノート」、7人8作品を掲載しました。ライナーノートというものをどのように捉えるかは各人の解釈に任せているので、内容も形式もさまざまですし、技術面もばらつきがありますが、基本的にすべて本人の手によるもので、講師の手は一切入っていません(講座のディスカッションでの指摘等を受けて本人がリライトしたものは含まれています)。講師および受講生仲間に読ませることを第一義にした文章ではありますが、外部の方にも読んでいただき、ご意見やご感想をいただきたいのです。

 

音楽専門誌が次々と姿を消し、音楽ライターや音楽メディアの役割も大きく変わりつつある今、こうして「音楽について書く」ことに情熱を燃やす若者が少なからずいることはとても心強いことだと考えています。

 

ぜひご一読いただき、印象に残るものがあれば、コメントを残すなり、Add Starを押して☆をつけてあげてください。もちろん、「彼らにぜひ原稿を書いてもらいたい」というご要望も、大歓迎です。

 

ひとりでも多くの人達に、彼らの文章が届くことを願っています。

 

作品はこちらから

作品 - 音小屋・音楽ジャーナリストコース(小野島講座)

 

 

NUMBER GIRL『OMOIDE IN MY HEAD 1 〜BEST & B-SIDES〜』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

NUMBER GIRL『OMOIDE IN MY HEAD 1 〜BEST & B-SIDES〜』

文・梶原綾乃

 

 人間だけではなく、ロックバンドとの出会いも一期一会だ。デビュー直前に知ることができるバンドもいれば、知ったころには既に解散してしまっているバンドもいる。しかしリアルタイム/非リアルタイムかどうかはさほど関係なく、時にはその音楽性から思想までを追いかけるほど熱中してしまうなど、いずれもリスナーの音楽体験のひとつとして蓄積されていく。私にとってナンバーガールとの出会いは、リアルタイムでもあり非リアルタイムでもあった。だからこそ、このバンドほどリアルタイムで出会えなかったことを悔やんだバンドはいない。1995年のデビューから2002年の解散までの9年間、くるりスーパーカーらと共に90年代の音楽シーンを築きあげた重要バンド・ナンバーガールが2005年、ベストアルバムの発売を機にもう一度、リスナーの注目を受ける機会があったという話をしよう。

 

 思えばASIAN KUNG-FUGENERATIONがパーソナリティを務めるラジオで、本作『OMOIDE IN MY HEAD 1 〜BEST & B-SIDES〜』が紹介されていたのが私とナンバーガールとの出会いであった。アジカンのアルバム『君繋ファイブエム』に収録されている「N.G.S」という曲の名が「ナンバー・ガール・シンドローム」の略称だということは有名な話だし、彼らが敬愛するバンドのひとつであることは間違いない。期待が高まっていたが、ゴッチが紹介したナンバー「鉄風鋭くなって」には、ちょっと引いてしまった。いくら音量を上げてもボーカルはちゃんと聴こえないし、何を言っているのかわからない。楽曲が盛り上がっているわけではないのに、不自然なシャウトを繰り返すボーカルにビビってしまったのだ。ポルノグラフィティ小室哲哉など、メインストリームのJ-POPを好んでいた私にとっては新たな刺激だった。ラジオから始まり、レコード店の店頭でも気づいたら視聴していた。聴けば聴くほどなんだか気になってしまって、思い切って購入していた自分がいた。

 

 ファンの間でも人気が高い「鉄風鋭くなって」はもちろん、「TATTOOあり」など他の曲にもやっぱり引いてしまったのだが、買ってしまったCDだから聴かなければもったいない、そんな気持ちもあった。しかし聴きこむうちにナンバーガールの好きな曲はどんどん増え、気づいたら彼らを軸として、いろいろなバンドを知っていた。ELLEGARDEN銀杏BOYZ100sなどなど…リアルタイムでシーンを追いかけていくとともに、ここで初めて、聴けば聴くほどハマるバンドがあるということを知り、ルーツを探求することも知ることができた。

 

 そもそもナンバーガールは1995年、福岡にて結成された4人組ロックバンドだ。もともと宅録をしていた向井秀徳(vo,gt)が当時アルバイトをしていたライヴハウス、福岡ビブレホールにて同アルバイトである中尾憲太郎(ba)をバンドに誘ったことがはじまりである。中尾は照明を担当していたバンドコンテストにて、出演者の田淵ひさ子(gt)を誘う。田淵はコズミックチェリーというバンドを結成しており、当時まだ無名の椎名林檎とも交友があった。アヒト・イナザワ(dr)も別のバンドを行っていたが、バンド解散を機に向井が「ヴェルベット・クラッシュは好き?」と話しかけ、バンドへ誘い込んだという。バンド名の由来としては、向井の宅録時代のユニット名「ナンバーファイブ」と、その後バンドを組もうとしていた者たちが以前やっていたバンド名の「カウガール」からとったといわれている。前者はビートルズの編集盤、後者はニールヤングの曲からの引用である。主催のイベント「チェルシーQ」などでライヴ活動を重ねつつ、1996年には『Atari Shock』、1997年には『omoide in my head』といった自主制作のカセットテープを販売。さらに、パニックスマイルの吉田肇と主宰するインディーズレーベル「headache sounds」にてファーストアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』を完成させる。

 

 ピクシーズラモーンズ、プリンスなどの影響を受けたフロントマン、向井秀徳の音楽性は単なるギターロックに収まりきらない。室内プールで演奏されているかのようなこもりきった音作りと暑苦しい空気を感じる。艶めかしいベース、泣き叫ぶギターにシャウトの強いボーカル。洋楽をしっかり吸収してうまく邦楽に落とし込んでいるため、ただの真似事には聴こえない。一見ロックとは無縁なガリ弁メガネ男子・向井と、寡黙そうな女性・田淵を筆頭に、(失礼だが)どこか冴えないルックスの連中から発せられる音とはとても思えない。そして、そのギャップが非常にかっこいい。そういった個性が好評だったのか、東芝EMIの社員が作品を購入していたという縁あって、東芝EMIにてデビューを果たす。デビュー前後には、くるりスーパーカー、ブラッドサースティ・ブッチャーズとの共演(特にブッチャーズとは毎秋恒例のツアー、Harakiri Kocorono Tourを1999年よりスタート)を果たし、1999年5月にはメジャーデビューシングル「透明少女」、7月にメジャーファーストアルバム『School Girl Distortional Addict』と立て続けに発売。デビューから3か月でRISING SUN ROCK FESへの出場も果たし、ライヴアルバム『シブヤROCK TRANSFORMED状態』を発売と、今思えば早熟であり、スピーディーなリリースを続けていた。『シブヤROCK TRANSFORMED状態』の衝撃は、ナンバーガールをライヴバンドとして認識させるには十分な力を持っていたと思う。アルコール中毒である向井が、酩酊のあまり途中で適当なボーカルを披露したり、メジャーアルバムには収録されていない「OMOIDE IN MY HEAD」(『SCHOOL GIRL BYE BYE』に収録、headache soundsでの発売後は別レーベルにて再発されている)が収録されていたりと、今でも彼らのマイベストアルバムとしてこの作品を挙げる者は多い。

 

 人気もリリースも好調に伸ばしていき、ここで彼らの歴史の中での重要ポイントが訪れる。それはデイヴ・フリッドマンとの共同作業である。マーキュリー・レヴのメンバーであり、モグワイフレーミング・リップスのプロデューサーとしても知られているデイヴに、通算4枚目のシングル及びセカンドアルバムをプロデュースしてもらうべく渡米し、作業を行っている。そこで完成させたのがシングル「URBAN GUITAR SAYONARA」(2000年5月発売)、アルバム『SAPPUKEI』(同年7月発売)である。ファーストがローファイなギターロックだとしたら、本作以降はダブやファンクに接近している。メロディが掴みやすく、かつ各楽器の音量やテクにメリハリがある。彼らのアルバムの中では一番とっつきやすいのではないだろうか。何よりも「TATTOOあり」の轟音ギターアウトロが素晴らしく、私の中でこのアウトロを越えられる邦楽バンドは未だに現れていない。オリコン順位も24位と、前作よりも18位上がっておりセールス的にも成功している。

 

 その後アルバムリリースに伴うツアーはもちろんのこと、サマーソニックロックインジャパンフェスティバル(2000年)、フジロック(2001年)大型フェスの出演を全制覇。シングル「鉄風鋭くなって」の発売を挟んでブッチャーズやBACK DROP BOMBとのツアー、ワンマンツアーと、怒涛のツアーでバンドのポテンシャルを高めていく。続くアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』もデイヴによるプロデュースで、オリコン15位という史上最高のセールスを記録。祭囃子など、ロックに和のテイストを取り入れたアルバムとなっている。先行シングルである「NUM-AMI-DABUTZ」は、念仏を唱えるようなラップっぽいリリックと、ベースのリフ以外好き勝手暴れまわっている不規則なサウンドが衝撃的だった。後に向井が結成するバンド・ZAZENBOYSの原型である。

 

 4枚目でセールス・サウンド共により進化した彼らは明らかに好調であったと思う。しかし全国ツアー後の2002年9月、突然の解散発表を行う。ベースの中尾がバンドの脱退を希望したが、「ナンバーガールはこの4人なしでは成り立たない」と向井は判断し、解散という流れになったのだ。当初予定していたツアー「NUM-無常の旅」を通常通り決行し、ファイナルである札幌PENNY LANEのライブをもって解散した。

 

 ナンバーガールが残した余波は、現在の音楽シーンに着実に受け継がれている。解散から約3年が経った2005年3月、ベストアルバムとして本作『OMOIDE IN MY HEAD 1 〜BEST & B-SIDES〜』が発売された。レコード店店頭に置かれたフライヤーには、ASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文POLYSICSのハヤシ、クラムボンのミト、今は亡きブッチャーズの吉村秀樹フジファブリック志村正彦といった面子がコメントを載せている。ナンバーガールとシーンを共にした者/していない者にかかわらず、その影響力は大きかったことを確認できる。さて本作は、インディー時代のアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』からの名曲「IGGY POP FANCLUB」、レアシングル「DRUNKEN HEATED」やライヴ音源の「OMOIDE IN MY HEAD」など、スタジオ音源とライヴ音源を入り混ぜた構成だ。スタジオ音源を知らないままライヴ音源を聴かせるなんて…と、ベストアルバムとしては少々とっつきにくい印象を受けるかもしれないが、ライヴバンドであるナンバーガールの熱量を伝えるには良い手法であると思う。実際に、ライヴ音源もスタジオ音源も伝わってくる臨場感に大きな差はないのだ。また、このベストアルバムをOMOIDE IN MY HEADシリーズと題し、同年5月にはライヴ盤『OMOIDE IN MY HEAD 2 記録シリーズ』が2枚同時発売、9月にはライヴDVD『OMOIDE IN MY HEAD 3 記録映像』、12月にはレア音源集『OMOIDE IN MY HEAD 4 珍NG & RARE TRACKS』が発売されている。

 

 そして現代、2014年。解散から12年、ベストアルバム発売から8年が経過している。あの時ゴッチが紹介していなければ、さらに夢中になってナンバーガールを聴かなければ今の自分は存在しないであろうし、音楽ライターなんてやってなかっただろう。ナンバガのメンバーも相変わらず音楽活動を続けていて、向井はZAZENBOYS、アヒトVOLA&THE ORIENTAL MACHINE、田淵はブッチャーズ、中尾はyounGSoundsでの活動や快速東京のプロデュースなどをしている。向井の持つスタジオ「マツリスタジオ」にて取材も行ったし、フェスのレポで舞台裏の彼らにもができて、同じ時を生きているだけで嬉しいのに、私はずいぶん幸せ者だと思っている。

 

 一方、音楽シーンにおいても嬉しい動きは続いている。スパルタローカルズフジファブリックBaseBallBearらは彼らのフォロワーであること(あったこと)を公言しているし、9mm Parabellum Bullet がデビューしたときのキャッチコピーは「ナンバーガールを越えた」であった。Ceroの高城晶平が初めて制作した楽曲はナンバーガール直系のサウンドだったり、the SALOVERSは昨年のライヴで「鉄風鋭くなって」をカヴァーしていたりと、まだまだ影響の強さを感じている。ナンバーガールの遺伝子は、ナンバーガール以降のバンドたちにしっかりと刻み込まれているのだ。

 

 だからきっと、バンドとの出会いがリアルタイム/非リアルタイムかどうかは関係ない。どんな若いリスナーにも彼らにたどり着くきっかけが与えられているのだから。それでもやっぱり、ライヴはリアルタイムでしか見られないのだから残念だ。だから私は悔やんでいる。ああ、もっと早く知りたかったなと。これほど人生を変えるきっかけとなったバンドに、一生後悔しながら生きていきたい。いつか再会を夢見て、乾杯。

Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』

文・糸日谷友

 

 夜中にYou Tubeで「AIR JAM」の映像を見てた。「AIR JAM」は1997、1998、2000年と行われた、Hi-STANDARDが企画・主催したインディーバンドを中心にしたフェスだ(今から見たらフェスだけど、当時はフェスって言葉も定着するずっと前だった)。会場は当時10代ぐらいのオーディエンス達でパンパンで、そいつらは曲に合わせてうねりながら渦のようになって、あちらこちらでダイブやモッシュが繰り広げられてる。みんなびっくりするぐらい短パンにTシャツで首にはタオルだ(笑)!ステージはほんとライブハウスを持ってきたみたいにシンプルで、2000年なんかは広いマリンスタジアムにちょっと不釣合いなぐらいで、でもなんだろう、演奏されてる「Growing Up」「STAY GOLD」とかを聴いていたら胸がザワついてしまって眠れなくなってしまって、思わず奥の棚から当時のアルバムを取り出してずっと聴いてた。朝になるまでずっと聴いていた。

 

 Hi-STANDARDは僕の人生の中で一番大きな影響を与えたアーティストかも知れない。いや、影響を与えたなんてそんな偉そうなものじゃなくて、いろんなものを見せてくれた、教えてくれた、そんな存在だ。

 

 改めて書くとHi-STANDARDは、

 

難波章浩(ボーカル、ベース)

横山健(ギター、ボーカル)

恒岡章(ドラムス)

 

の3人からなるメロコアバンド、日本でメロコアというジャンルを作り上げたバンドだ。ミニ・アルバム『LAST OF SUNNY DAY』でデビューし、1stアルバム『GROWING UP』(海外盤を含め70万枚を超えるセールスを記録)、2stアルバム『ANGRY FIST』、3stアルバム『MAKING THE ROAD』(オリコンチャート初登場3位、インディーズとしては異例のミリオン・ヒットを記録)をリリースしている。それは3ピース最小限の体制で、早くてノレてメロディクなパンクハードコアの音像のなかに、ユーモアとインディペンデントを振り撒いた音だ。

 

 とか言いつつ、ハイスタを初めて聴いたのはいつ頃かはっきり覚えてなくて、「~~ステレオから流れ出た音に衝撃が走った‥‥」みたいな感じだったらかっこいいんだけど、確か高校1年生ぐらいの時に友達に『ANGRY FIST』を借りて聴いたのが初めてだったと思う。その時もハイスタって知らなくて、音楽詳しい友達にいろいろ貸してあげるよって感じで何枚か借りてその中の1枚だった気がする。さらに聴いた瞬間にズドーンと来た記憶もなく、なんとなく聴いていたのだが、ビビッときたのはその頃手に取ったフリーペーパーを見た時だ。ハイスタのインタビューが載ってて、メンバーは短パンに上はチャンピオンのスウェットなんかで、ほんと普通のちょっとやんちゃな兄ちゃんって感じだった。その頃の周りにあるバンドというとラルクとかグレイとかちょっとヴィジュアル系っぽくてちょっと遠い世界にある感じだったから、なんかこんな等身大の人たちがやってるのかって思った。それから気になって歌詞カードを見ながらもう一度アルバムを聴いてみた。そこで「ENDLESS TRIP」という曲を聴いて、はまった。2分16秒の曲だ。ちょっと歌詞を引用してみる。

 

 「~~不思議な夢の中にいるみたいだ/どういう訳か俺たちはこきたないバンに乗ってるんだ/ポップソングがラジオから流れている/他のヤツらは犬みたいに眠っちまってる/全身入墨をいれたクールガイがバンを運転している/彼は舌に太いピアスをしてるんだ/理由なんかどこにもない/俺達は毎日ただひたすら進み続け音楽を作り続けるだけなんだ(以上抜粋)」

 

 彼らは、自分達の好きな音楽を、自分達の手で、自分達の力で、自分達を待つキッズに届ける、そんな旅は終わることなく続いていく。そんな世界に当時高校一年の俺は瞬間的に猛烈に憧れてしまったんだ。青春とか、若さってってこういうことなのかって思った。逆に言うと高校一年生でありながら俺はそんなものは全く感じていなかったんだ。偏差値50程度のごく普通の高校、周りは「だりぃ」「めんどくせえ」しか言わねえ。退屈な授業を居眠りしながら過ごすともう一日は終わっている。何も積み重ねられず、先何も始まらない毎日。でもそれは違う!自分が求めるもの、それは自分自身の手で切り開き、掴み取るものだったんだ。「ENDLESS TRIP」のそんなメッセージは跳ねる様なギターのメロディ、刻まれるドラムのリズム、英語のヴォーカルと供に全てが一体となって耳を駆け抜けていった。

 

 聴き終わって俺は今まで感じたことの無い高揚感に、思わず寝転んでいたベットから飛び起き立ち上がった。そして今自分にできること、今自分がなすべきことを探した。ただもう夜中だったので、とりあえず部屋をウロウロするだけにとどまった。そして次の日に『MAKING THE ROAD』を買いに行った。しばらくしてからなけなしの小遣いをはたいて『GROWING UP』そして『ANGRY FIST』も自分で買った。そして夜な夜な、イヤフォンを耳にしながら立ち上がり身体をクネクネさせて、時折飛び跳ねながらアルバムを聴きまくった。とにかく当時、今までこんなこんな音楽は聴いたことがなかった。そもそも音楽を聴く、音楽の力っていうのはこういうことかと思った。聴いてると身体が動かさざるを得なくなるんだ。そしたらある日「早く風呂に入れ!」とドアを開けた母親にイヤホンをつけながら不気味に蠢く姿を見られ、ただ全然恥ずかしくないどころか、むしろ興奮気味にそのイヤホンで無理やりハイスタを母親に聞かせた。母親は流れてくるうるさい英語の曲を聴いて心底意味不明といった顔をしていた。

 

 気付くと身の回りではハイスタはものすごい勢いで広まっていった。友達がバンドを組んで地元のライブハウスに言った。そうライブハウス、ライブってものを教えてくれたのもハイスタだった。ちっちゃな小屋に重い扉を開くと耳がつんざく様な馬鹿でかい音(次の日、学校では耳が聞こえないとクスクスはしゃいでいた)!ベース、ドラムの響きは腹まで溜まっていった!ライブが始まるとモッシュ、ダイブが繰り広げられる。そう、もみくちゃになっている間に気付くと周りに押し上げれて、そしてしまいには自分から飛び込んでいった。ダイブしている時の頭が一つ抜けてオーディエンスが端まで見渡せる、あの感覚!雲の上にいるみたいだった。そこには協同意識があり落ちると周りはすぐに支え起き上がらせてくれた。倒れこまないように手を取り合い、大丈夫か!の声が駆け渡り合う。もちろんそれは今日初めて会うやつらばかり。バンド、楽曲を通して全然知らないやつら同士がこんなにも心を通わせられるのかと思った。ただ、こんな失敗談もあった。野外の結構広い会場のライブで夢中になってもみくちゃにされて、気付いたら靴が片足脱げてしまい、ヤケクソになってもう片方も靴も空中に投げ入れた。ライブが終わって靴を探すと脱げた靴は見つかったが自分が投げ入れた方の靴は見つからず、結局片足だけ裸足のままトボトボと帰ったんだ(笑)。

 

 つらつらと書き連ねてしまったけど、冒頭の夜もずっと身体をクネクネさせながら聴いてた。ハイスタは新しい世界、自分の知らない世界を見せてくれたんだ。世の中にはまだまだ自分の知らない世界がたくさんある。めちゃめちゃ面白かったり、はちゃめちゃだり。実際、彼らをきっかけに洋楽、オールドロック、メタル、さらにはポストロック、テクノ、ヒップホップまでと広がっていった(Creedence Clearwater Revival 、KISS、The Whoエルヴィス・プレスリーとカバーの楽曲がほんとに豊富!あと「はじめてのチュウ」も!)。音楽だけでなく、実生活でも新しいこと未知の世界に飛び込むときには背中を押してくれた。自分でやらなきゃってことを教えてくれた。それは彼ら自身が開拓者であり、先駆者であったこと、彼ら以前にそんなアーティストはいなかったんだ。そのアティテュードそのものがなによりも魅力だった。『MAKING THE ROAD』まさしく彼らは道を創ったんだ。

 

 彼らは2000年の「AIR JAM 」から活動休止に入った。それぞれのソロの活動が続き、ハイスタとして人前に立つことはなくなってしまった。ちょっとしたボタンの掛け違いから、そのほつれは大きくなり、はたから見ると一時期はメンバー同士、憎みあっていたように見えた。ただ、ここではそんなことについては詳しく書かない。それを経て彼らは2011年、東北の震災を契機にまた「AIR JAM 」で再会した。自らが動く、動き続けるという彼らの姿は何一つ変わっていなかったんだ。その時の映像を見た。難波、横山、常岡は肩を抱きながら、あの時の曲を演奏していた。

 

 いろんな人たちに曲を聴いてほしいと思う。これは3st『MAKING THE ROAD』のライナーノーツだが、気付いたら思い出話だけで全然曲に触れていない!ただ、この文が何かのきっかけになればいいと思う。当然、このアルバム以外の全ての曲が必聴だ。別に新たなものに触れる、新しい世界に飛び込み、そんなことに恐れないでほしい。もちろんそれは自分自身がなすべきことをなした上でのことだ。それに気付くことに老いも若いも、今も昔も何も関係がない。

 

 筆を置く終盤になってこれは自分に向けて書いていることに気付いた。よし、今日はハイスタを聞いて会社に行こう!うおー、死ぬときゃ葬式でもかけるぞ!

                 

アンジェラ・アキ『TAPESTRY OF SONGS-THE BEST OF ANGELA AKI-』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

アンジェラ・アキ『TAPESTRY OF SONGS-THE BEST OF ANGELA AKI-』

文・千代祥平

 

 ベストアルバムにも様々あるが、自分はこんなに「幸福な」ベストアルバムを聴いたのは初めてだ。手抜き、金儲け、アーティストの意向を無視…しばしばベストとはそういった評価を受けるものであるし、中にはそう言われても仕方のないような作品もあるだろう。しかし、「ベストアルバム」はそんなものだけではない。そのアーティストのこれまでの活動を余すことなくまとめ、新規のリスナーはもちろん、元々のファンにも何らかの発見や再価値化のきっかけを与えてくれるような…そんな、リスナーにとっても、アーティストにとっても「幸福」と言えるベストアルバムは、確かに存在している。そして、今回アンジェラ・アキが日本での活動休止を機に発表したこのアルバムは、まさしくそういったものの1つだ。

 

 それでは、まずはアンジェラの全シングル曲が発表順に収められたDisc1を聴いてみよう。そのガイドのため、彼女のバイオグラフィーを少々長めだが以下に書き記しておく。

 

 アンジェラ・アキは、1976年日本人の父とイタリア系アメリカ人の母のもと徳島県に生まれた。結婚前の本名は、”安藝 聖世美 アンジェラ”。彼女は15歳までの時間を日本で過ごした後、一家でハワイへ移住する。その後大学進学のため単身ワシントンDCへ向かった彼女は、1996年大学1年生の時に学園祭で見たサラ・マクラクラン(カナダの女性SSW)のライブに感銘を受けて音楽の道を志した。歌わせてくれるクラブやライブハウスを車で駆けずり回ったアメリカでの下積みの時期に彼女は、一度目の結婚と離婚をも経験。自身の楽曲にはこの苦難の時代を振り返るものも多く、代表曲”サクラ色”もその1つである。この曲の中でアンジェラは、アメリカ時代住んでいたワシントンにあるポトマック河畔の桜並木と当時の自分とを重ね合わせ、「サクラ色の時代を忘れない ずっと ずっと ずっと」と力強く歌う。彼女にとってワシントンで過ごした時間は、ほろ苦くも忘れ難い記憶なのだろう。

 

 その後2003年、自身の制作楽曲が日本でCMソングに選ばれたことを機に、彼女は再び日本へ。各レコード会社に自らを売り込んで回りながら、「南青山MANDARA」などのライブハウスでライブを繰り返し、遂に2005年3月、ミニアルバム『ONE』でインディーズデビュー。そして、同年秋にはシングル『HOME』で遂にメジャーデビューを果たす。この時の彼女は28歳。「ハーフは売れない」「歌手デビューは○歳まで」といった音楽業界のジンクスをことごとく打ち破ってデビューを掴み取った彼女の実力は、このデビュー楽曲”HOME”を聴けばすぐに分かる。「ふるさと 心の中で今でも 優しく響いてる」一歩間違えれば演歌にでも聴こえてしまいそうなフレーズだが、この歌詞がアンジェラの力強い歌声とピアノ演奏で語られることによって、聴く者の記憶の底にある風景をふっと呼び起こす。楽曲全体の壮大なスケールに、日本人の心に迫るメロディ、そしてアンジェラ自身のエモーショナルなパフォーマンス。多くのアーティストがそうであるように、このデビュー曲”HOME”には、既に彼女の全てが詰まっていた。

 

 その後の彼女の活躍は、誰もが知るところだろう。メガネにTシャツ、ジーンズにコンバースというラフな出で立ちで情熱的にピアノを弾き語り、喋ってみれば陽気な関西訛りのお姉さん、という彼女のスタイルは大いに受けた。2006年夏に発表されたアルバム『Home』は大ヒットを記録、同年末には史上初の「ピアノ弾き語りのみの武道館公演」を行う。実はアンジェラは無名時代の2003年、椎名林檎の同会場での公演に感激し、「3年後までに自分もこのステージに立つ」と目標を定めていたそうだ。その夜、彼女は見事にその夢を叶えたのである。また、その後もこの「年末武道館」ライブは、アンジェラの活動における恒例行事となった。

 

 そして2007年、年が明けても彼女の勢いは留まらず、先述の”サクラ色”などのリリースを挟んで同年秋にはアルバム『TODAY』で初のオリコンチャート1位を獲得。翌2008年には、ご存知”手紙~拝啓 十五の君へ~”という後に彼女の代名詞となる楽曲を発表。元々は”手紙”というタイトルでNHK合唱コンクールの課題曲となっていたこの曲は、まさに世代を超えた支持を受けた。今思うとこの楽曲のヒットの理由は、それこそ歌詞の中で歌われる15歳前後の少年少女が歌う「合唱曲」としてイメージがピッタリでありながら、アンジェラ自身が歌っても「彼女らしいバラード」として立派に成立していたところにあったのではないか。根強い支持を受けたこの楽曲は、オリコンチャートでもロングランを記録。その後2009年に発表されたアルバム『ANSWER』も注目を集め、ヒットを記録した。

 

 そんな彼女の活動の1つのピークとなったのが、彼女にとってデビューから5周年を数える2010年である。彼女は薦められたベストアルバムの発表を強い意志で断ってオリジナルアルバム『LIFE』を発売。ライブにおいても、恒例の年末武道館に加えてこの年は故郷徳島での大規模ライブも成功させた。この年アンジェラは、非常に充実したアニバーサリーイヤーを過ごしたのである。

 

 しかし翌2011年、デビューから今まで快調に駆け抜けてきた彼女は再び苦悩と向き合うことになる。前年の「5周年企画」終了後の燃えつき、突然の体調不良、そして震災。様々な要因が重なり、彼女は深刻なスランプに陥ってしまったという。そんな中発表された”始まりのバラード”は、まさにそんな「産みの苦しみ」の中からようやく完成した名曲である。「世界一長い冬にも 必ず春は来る」と歌うこの曲の歌詞は、アンジェラが自分自身に言い聞かせていたことでもあるのだろう。この年発表されたアルバム『WHITE』は、カバー/セルフカバーが大胆に用いられた、彼女のディスコグラフィーの中でも異色の作品となった。

 

 そんなスランプに戸惑う彼女の転換点となったのは、翌2012年の出産である。出産後、なんと彼女は勢い良くスランプを脱して驚異的なスピードで楽曲を制作し、同年6月には”告白”を発表。これまでの生楽器での演奏を中心とした楽曲群とはガラリと異なり、煌めくシンセサイザーの音色が大幅にフューチャーされた、爽快なエレクトロ風味の1曲となった。彼女は単に自らの制作ペースを取り戻しただけでなく、その新機軸まで獲得したのである。そして早速7月には、フルアルバム『BLUE』を発表。産休後の短期間で制作された新鮮なエネルギーに満ち溢れるこのアルバムは、彼女の「再デビュー」作といった趣となった。

 

 その後、”告白”の流れを受ける打ち込みのサウンドが取り入れられた”夢の終わり 愛の始まり”のシングルリリースを挟み、昨年秋には日本での音楽活動休止を発表。そして時間が今に追いつき、今回このベストアルバムが私達の手元に届いたのである。

 

 さて、それでは再び今回のアルバムに目を戻すと、アンジェラ本人による「ベストセレクションCD」と銘打たれたDisc2の楽曲群もやはり聴き逃せない。これまでのアルバムの中で重要な一角を成していた曲が自身のキャリアの中から万遍なく選ばれており、この選曲にはファンも納得だろう。その中でも”MUSIC”、”TODAY”、”ANSWER”などのポジティブなメッセージが詰まったアップテンポな楽曲や、”One Melody”、”LIFE”、”One Family”などの壮大なスケールを持つ彼女らしい「勝負バラード」はシングルカットされてもおかしくない名曲。しかしここではむしろ、アンジェラの多様なチャレンジが見られるその他の楽曲にも耳を傾けてみたい。例えば”宇宙”や”モラルの葬式”といった楽曲は、アンジェラの楽曲の世間的なイメージとは詞も曲もガラリと異なる。次々と展開が変わっていくメロディに、「宇宙」や「モラル」が擬人化された寓話的な歌詞が載せられたアバンギャルドな楽曲であるが、こういった表現も彼女の引き出しには確実に存在するのだろう。また、ジャニス・イアンとの共作による”Every Woman’s Song”や、洋楽的なシンプルな作りのメロディを持つ”Final Destination”など、彼女が併せ持つ洋楽のバックグラウンドも忘れてはならない。

 

 さらにはDisc3のDVDも、総時間150分と充実だ。PVは比較的シンプルな作りではあるが、その分アンジェラ自身の表情を余すところなく追いかけている(そして、全PVで彼女はピアノを弾き語っているのが面白い)。さらに注目なのが、”LIVE HISTORY”と題されたダイジェスト映像で、ここでは彼女のデビュー当時からのライブ映像が、笑いを誘う独特のMCも含めてたっぷりと収められている。

 

  総括するとこのベストアルバムは、アンジェラの渾身の軌跡が詰め込まれたDisc1、シングルを聴いただけでは分からない彼女が併せ持つ独自の世界観が楽しめるDisc2、そして彼女の真骨頂であるライブの映像が楽しめるDisc3と、あらゆる角度から「アンジェラ・アキ」の10年間の活動を深く楽しめるものとなっている。これから彼女の音楽に触れるという人はもちろんのこと、これまでのリスナーも、また新たに彼女の魅力を再発見することができるだろう。冒頭で「幸福な」ベストアルバムと書いたのは、こういうわけである。

 

 さて、ここまで「再発見」という言葉をしばしば使ったが、それでは僕自身が今回のアルバムを通して再発見したアンジェラの魅力とは、何だっただろう。

 

 そもそも、彼女の音楽の「魅力」とは?思わず胸に「グッと来る」メロディや、確かな歌唱力と情熱的なピアノプレイによって成る、胸に迫るパフォーマンス。さらには、それを生で楽しむことができるライブの感動(僕は彼女のライブで涙したことは一度や二度ではない!)。それはもちろんだし、僕自身が彼女のファンである理由の大方はそんなところにあるのだが、彼女の音楽にはもう1つ、他と一線を画す大事なポイントがあるように今回思った。それは、アンジェラ流の「メッセージソング」の在り方である。

 

 少し話は逸れるが、僕はいわゆる「メッセージソング」というのはあまり好きではない。元来ひねくれ者(?)なので、どこか鼻につき、嘘くさく感じてしまう。そんな自分がアンジェラのファン、というのは不思議な話だが、何故だか彼女の楽曲からはそういった印象を覚えることが無い。彼女の歌詞に心から共感し、涙を流す…なんてことはないにしろ、少なくとも「嘘くさく」感じたことなんて一度も無かった。

 

 それは単に、僕はアンジェラの音楽性が好きだからかもしれない。または、1ファンである僕は彼女の長い下積み時代を知っているから、またはライブに足を運び彼女の素のキャラクターを知っているから、なのかもしれない。もちろんそれも重要な要因だろうが、しかしそれだけではないように思うのだ。アンジェラの「メッセージソング」の在り方は、もっと根本的に、何か強い説得力があるように思う。それは何に由来するものなのか。

 

 今回このベストアルバムを聴き、改めて考えたのは―彼女の言葉は、ただただ彼女の内面をさらけ出したところから獲得されているのだな、ということである。どうしても一般的な「メッセージソング」には、自らを「さらけ出す」というより、その道徳的なメッセージで自らを「上塗り」するような、そんなものを感じてしまう時がある(もちろん、他の楽曲を貶める気はないのだが)。しかしアンジェラの場合は違う。彼女は自分の生き様や葛藤を、その中から生まれた何かを、臆することなくストレートに楽曲にぶつけている。言い換えれば、アンジェラの楽曲はそれ自体が限りなく「彼女そのもの」なのである。

 

 それ故アンジェラはしばしば、あまりに直截的な物言いも厭わない。例えばあの”手紙~拝啓十五の君へ~”では、「Keep On Believing、Keep On Believing…」と歌い続けるし、”たしかに”では、「たしかに たしかに たしかに 愛はある」と歌う。何の衒いもなくここまでストレートな表現ができるのは、彼女の言葉が身の内から出た、本当のものである証拠だ。そして、ここまであっけらかんとメッセージが提示されているからこそ、こちらとしてもむしろ清々しく、自然と彼女の言葉を受け入れることができるのではないか。

 

 そんな訳で、彼女の発するメッセージは聴く者全てに普遍的な説得力を持つのだと思う。これこそが、僕が今回のベストアルバムを聴いて再発見できたアンジェラの魅力だった。

 

 さて最後になるが、昨年秋に「アメリカの音楽大学へ留学するため、日本での音楽活動を休止する」という公式HPで発表されたアンジェラからのメッセージを読んで、残念に思いこそすれ、その決断が「納得できなかった」というファンは少なかったのではないだろうか。彼女の次なる目標がグラミー賞であるのはファンの間では周知の事実であったし、そのために彼女はアルバムの中で英詩の楽曲を増やしたり、バークリー音楽院の通信教育を受けたりと、多忙なアーティスト生活の中で様々に具体的なアクションを起こしていたからである。「40歳までに世界で戦えるスタートラインに立ちたい」、多くのファンは彼女の夢を心から応援する気持ちだと思う。

 

 何故なら僕達ファンは、そのように挑戦し続けるアンジェラが大好きだし、その彼女が歌う歌だからこそ、今まで何度も心動かされてきたのだから。(千代祥平)

BIGMAMA『Love and Leave』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

BIGMAMA『Love and Leave』

文・峯岸理恵

 

 

 「生涯のベスト1アルバムのライナーノーツを書く」と言われた時、まだ24年しか生きていないのに生涯のベストを決めるのはなぁ、なんて一切思わなかった。このアルバムとの出会いが後々の私の人生を変えたと言っても過言ではない。迷った時、弱った時、負けそうな時、挫けそうになった時。そんな時にこのアルバムはいつも隣に居て、その溢れんばかりの愛と優しさで私を救ってくれたのだ。恐らくこれから先どんな名盤と出会っても、自分の原点としてこのアルバムは生き続けるであろう。

 

 BIGMAMAは金井政人(Vo/Gt)、柿沼広也(Vo/Gt)、安井英人(Ba)、リアド偉武(Dr)、東出真緒(Violin)の5人組ロックバンド。元々同じ高校の同級生であった金井、柿沼、リアドを含むメンバーで結成され、八王子を拠点として活動をし始めた。2006年にUK-PROJECTの傘下であるRX-RECORDSから1stミニアルバム『short films』をリリースして以降、現在ではシングル11枚、フルアルバム5枚、さらに「ロック×クラシック」という前人未到のコンセプトアルバム“Rocclasic”をリリース。その度に着実にファンを増やしていき、現在はライヴチケットが発売開始と同時にソールドアウトは当たり前という状況だ。

 

 そんな彼らの最大の特徴は、そのメンバー構成にある。2001年の結成当初は、アメリカのパンクロックバンドであるYELLOW CARDのコピーバンドであったBIGMAMA。2006年に当時のギターとヴァイオリンが脱退し一時活動休止になるも、構成は変わらずメンバーにはヴァイオリンが居るのだが、これがすごくいい。めちゃくちゃいい。数ある楽器の中からよくもまぁヴァイオリンを選んでくれたなぁ、と思う(とはいえYELLOW CARDメンバー自体に元々ヴァイオリンがいるので、この構成は当たり前といえば当たり前なのだが)。金井が紡ぐ言葉の世界をカラフルな色で染めながら、遊ぶように曲の中を駆け回る東出の奏でるヴァイオリンの音色。ギターやベースのように指やピックで弾かれるのではなく、ヴァイオリンは弦と弓の弦が擦れ合って鳴っている。前者は弾く分音の粒やリズムがしっかり聞こえるのに対して、後者の音は真っ直ぐで揺るがない直線的な音色を奏でる。その音形のコントラストがなんとも新鮮で、互いの音が共鳴し合いながら楽曲の世界観の濃淡をより深くしているのだ。例えるならば、2Dが3Dになったような感覚。リアドの力強くしなやかなドラミングと安井の5弦ベースから弾かれる心地良い重厚感の上に、柿沼の鮮やかなギタープレイと東出の女性的で強かなヴァイオリンの旋律が乗り、そこに金井のハイトーンヴォイスが輝く。耳に入る音の粒のひとつひとつが活き活きしていて、鳴るべく箇所で鳴っている全ての音を耳で追いかけたくなる。そうして何度も聴くうちに、また新しい良さに気付き、追いかける。それはギターとヴァイオリンのユニゾンの美しさだったり、ベースのスラップの細かさやバスドラムの胸打つような振動だったり、柿沼の艶のあるコーラスと金井との絶妙なハモりであったり。ありとあらゆるところに聴きどころを隠し持ち、何度聞いても飽きがこない。

 

 そして、そんな立体感溢れる世界のシナリオライターである金井政人が紡ぐお伽噺話的歌詞。「妄想王子」という愛称が生まれてしまうほど、彼の言葉は愛とユーモアで溢れている。1曲1曲の情景やストーリー、登場人物のキャラクターが聴きながらにして目に見えてくるようで、それはまるで音の映画館のよう。とはいえ「お伽噺的歌詞」と述べたが、ただのメルヘンチックな歌詞に留まらないのが彼の言葉の魅力だ。そこに込められる意味がとても深いのだ。金井は良くも悪くもどこか斜に構えていて、直球勝負は苦手な人間。好きな人にも「好きだ!」とはっきり言えないような、言わば「石橋を叩いたら渡る前に壊れちゃうから、ちょっくら外周回ってきます」タイプ。けれど、ぐるっと遠回りする分色々な景色を見たり、斜に構えている分人とは違う思わぬ発見ができたりする。そういった「生活のなかで誰もが何の気無しに見落としているような、人生における大切な教訓」を見出し、歌詞にするのが本当に上手い。

 

 そしてそれをリアルな実生活に裏打ちしたりせず、生々しさを一切感じさせないようにそっと歌詞に忍ばせる。現実からは少し遠いお伽噺や逸話で柔らかく包み込むのだ。「こうだった、こう思った」という金井の中の事実の話し手を歌詞の中の登場人物に委ねることで、受け取る側の解釈の間口が広がる。まさに魔法のような巧みさ。「こういう言葉の言い回しがあったのか」と、歌詞カードに並ぶ文字の羅列を見るたびに彼のその文才に感服するのだ。現在ではその才能が買われ、雑誌のコラム連載、さらには絵本の作成と幅広く活動しているほどだ。

 

 そんなBIGMAMAが2007年、現行メンバーになって初めてリリースした1stフルアルバムがこの『Love and Leave』である。直訳すると「愛と許し」というこのタイトルは、全てを包み込み、人生を悟ったかのような人間味ある温かさで溢れているこの作品に相応しい。小さい子供が母親に抱かれて安らかな表情を浮かべているジャケットがこのアルバムの雰囲気を視覚的にも象徴している。まさに、BIGMAMA。名は体を表すというが、ファーストアルバムにしてBIGMAMAの良さが全て詰め込まれている偉大なる愛の結晶である。

 

 全曲英詩の12曲で構成される優しい物語は、“the cookie crumbles”の金井の優しい歌声から始まる。この時期のBIGMAMAは〈メロコア〉とカテゴライズされることがしばしばあるが、いきなりサビから始まるこの曲の美しさとそこに内包される激しさは「メロディック・パンク・コア」の一言には集約できない。ツービートのリズムに合わせて頭を振って激しい音を鳴らしている印象を受けるそれとは違い、いかんせん聴きやすいのだ。激しくもあり、それでいて美しい。それは激しさを印象付けるドラミングと金井の優しく柔らかいハイトーンな歌声が絶妙に共鳴しているからだろう。さらにヴァイオリンの女性らしい音色が、中世的な世界観を醸し出している。その音の中で、彼らは私たちに《愛されたくて自分を売って/隙間を埋めたくて愛を買って/僕の背中は日に日に重みを増していく》そうしてそれを《the cookie crumbles(現実ってこんなもんでしょう?)》と悟ってみせる。けれど最後には《多分手放すのは簡単さ/だけど背中の荷物が重ければ重いほど君はきっと強くなれる/その方がきっと頂上で笑えるから》と励ましてくれる。ファーストアルバムの1曲目からこんな大きな歌を歌ってしまわれては、参りましたと言わざるを得ない。いきなり人生を諭されてしまったのだ。何度聴いても、私はこの曲には頭が上がらない。

 

 続く“Baseball prayer”は、冒頭で繰り出される柿沼と東出の煌びやかなユニゾンと、その下で徐々に曲のスピードを上げていくバスドラムのキックが気持ち良い。序盤の疾走感溢れる展開の果てには、「主人公が決死の思いでデートに誘った女の子がいつまで経っても待ち合わせ場所に訪れず、気付けば夜になってしまった」というまさかのオチがあり、それを《夜空に浮かぶ無数の星屑よ/そんなに僕を照らさないでくれ》という歌詞の上でギターが切なく演出するところなんて、主人公の男の子に感情移入して胸が締め付けられてしまう。

 

 3曲目の“We have no doubt”は、まさにエモーショナルの賜物。序盤から細やかなギターリフの上を泳ぐように奏でられる切ないヴァイオリンの儚い音色に涙腺を刺激される。「自分を守るために何かを疑うことは大切だけれど、ひとつだけでも信じられる場所があれば…」そんな願いを歌ったバラードかと思いきや、ラストに向かって徐々に勢いを増していき、さらにはそのまま間髪無しで4曲目のツービート全開のショートチューン“HAPPY SUNDAY”に突入するという意表を突かれるまさかの展開。バラードからツービートへの展開なんて誰が想像できただろう。まさにしてやられた、という感じだ。

  

 5曲目の“Today”の面白いところは、今作の楽曲に登場するキャラクターがこの曲の中で出会うという金井ならではの世界観を堪能できるところ。疲れ果てた空っぽの男、枕を抱く少年、老人…この時点では分からなくても、12曲全ての歌詞を読みながら聴き終えると「ああ、この人は…!」となるから面白い。金井の遊び心や、1曲1曲に対する愛の深さがぎっしりと詰まっている。さらに、娘を殺された怒りから犯人を殺してしまった主人公をシリアスな曲調の中に描いた6曲目の“CHAIN”の続編が8曲目の“The Man’s Sorrow”であり、そこからもこれがただの「音楽アルバム」ではないことが分かる。歌詞カードは〈見る〉、のではなく、〈読む〉ためのものだと思わされる。あらゆるところに伏線が張られていて、聴きながらまるでひとつの本を読んでいるようだ。それまで歌詞カードに対してそのような読み方をしてこなかったので、どうしようもなくワクワクしたことを覚えているし、今でも何度も読み返している。

 

 10曲目の“CPX”は同名のアンドロイドの物語。痛快でエッジの効いたビートに乗せて《君も気をつけて、誰かのマシンにはなってはいけないよ》と、心にぐさっとくる言葉を今にも捨てられそうなアンドロイドが訴えかけてくる。11曲目の“Moo”なんかは、まさかの牛に恋をしてしまう男の子の話。そのまま書籍化されてもおかしくないような世界観。登場するキャラクターひとりひとりが愛おしくてたまらない気持ちになる。

 

 そんなアルバムのラストを飾るのは“Candy House”。金井自身が「こういうふうに死にたい」と思って書いたという、シャッフルビートの心温まるメロディーが、どこか懐かしく心に響く。

 

 《残された君の人生が幸せであることを心から祈っています》そう歌って終わる12曲に渡る愛の物語は、BIGMAMABIGMAMAであるための存在証明そのものだ。これから先彼らがどんな楽曲を世に送り出そうと、結局言いたいことは全てこの中で言ってしまっているのではないかとさえ思ってしまう。このアルバムを知った人の人生には必ず幸せが訪れる。根拠もないが、そう思わずにはいられないほどの愛がこの中にはある。

 

 「私が死んだ時には、BIGMAMAの『Love and  Leave』を棺桶に入れてください」という遺言を残すことは決まっている。そうして終わる私の人生は、学生時代にこのアルバムに出会っていなければきっと大きく変わっていただろう。それが良い人生なのか悪い人生なのかは神のみぞ知るのだけれど、私はこのアルバムと歩む今の人生に大いに満足している。

 

(峯岸 利恵)                               

RADWIMPS『×と◯と罪と』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

RADWIMPS『×と◯と罪と』

文・小島沙耶

 

 自分の大好きなバンドの新譜を聴く時、あなたはどんな気持ちで聴くだろうか。楽しみ、期待、それとも緊張?いろんな感情があると思う。RADWIMPSの新しい作品を聴く時は、私はいつも怖くて、不安で仕方なくなる。この作品を聴いても、私は彼らの音楽を好きでいられるだろうか、ついて行けるだろうかって。もちろん、その心配はいつだって杞憂に終わってきたから、私は自分の「人生の一枚」に彼らの最新アルバム『×と◯と罪と』を挙げる訳だけど。

 

 RADWIMPSは、野田洋次郎(Vo./Gt.)、桑原彰(Gt.)、武田祐介(Ba.)、山口智史(Dr.)による4ピースバンド。私が彼らと出会ったのは、4thアルバム『おかずのごはん』が発売されて半年くらい経った頃だ。今も昔も、ラッドはずっと「愛」を歌い続けてきているバンドだけど、当時の彼らが歌う「愛」は往々にして男女間の「恋愛」とイコールだった。たくさんの音と言葉を詰め込み、愛するたった一人のためだけの音楽を奏で、時にはその人のためだけにアルバム1枚を丸ごと費やすことさえ厭わない。野田の目には「君と僕」だけの世界しか映っていないように思え、初恋も迎えていなかった中学生の私には、それが物凄い衝撃だった。野田が見ているのはどんな世界なんだろうって、歌詞や音の意味をひたすら考えた。それは私にとって、それまで経験したことのない音楽の聴き方だった。

 

 5thアルバム『アルトコロニーの定理』以降は、彼らの楽曲はそんな「君と僕」だけの世界を抜け出し、より広い世界を俯瞰するようになる。前作『絶体絶命』では、さらに開けた世界に向けて音をかき鳴らした。ラッドのアルバムはいつだって、私を予想外の方向に連れて行ってくれる。それがどんな方向だか、聴くまで分かる筈がない。だから私は、彼らのアルバムを聴くのが怖いのだ。彼らは私の音楽の聴き方を変えてくれたバンドだけど、その新しい音を受け入れ、ついて行ける自信がないから。楽しみや期待は度を超えた瞬間、恐れや不安に変わる。

 

 前作で大きな世界に踏み出したラッドが、そのベクトルのまま再び「愛」に重心を置いたのが今作『×と◯と罪と』である。メンバー4人全員がプロツールスを導入し、サウンド的にも新たな境地に踏み込んだ彼らの最新作は、聴いている人全てに幸せになってほしいというラッドの祈りが込められた超大作だ。

 

 今までのラッドはアルバムを発売するとツアーを回り、それが終わると製作に専念することが多かった。しかし、『絶体絶命』の発売から約2年半、彼らは精力的に我々の目に見える形での活動を行ってきた。アルバム発売直後に起こった東日本大震災被災地を支援するためのWebサイト「糸色(いとしき)」、野田のソロ・プロジェクトであるillion(イリオン)に加え、昨年は横浜で2日間に渡って行われた「春ウララレミドソ」や宮城県での野外ライブ「青とメメメ」といった大規模なライブも開催。多くの活動を通して彼らが見てきた景色や出会ってきた人々の表情が、このアルバムの原点になったのだと思う。その証に、野田はこの2年半のライブで何度か、「幸せになろう」という言葉を口にした。以前だったら「愛してる」が合言葉だったのに。ラッドの目に映っているのは、最早たった一人の「君」だけではない。大きな世界の、その中にいる一人ひとりの「君」と向き合い、その幸せを祈るのが今のラッドなのだ。

 

 そんな彼らの変化を見てきたからこそ、私はこのアルバムを聴くのが怖くて仕方なかった。今のラッドが奏でる音楽を、自分は受け止めきれるんだろうかって。ドキドキしながらプレイヤーの再生ボタンを押した。

 

 アルバムの1曲目、“いえない”。野田は軽く息を吸い込み、澄んだ声で〈言えない 言えないよ/今君が死んでしまっても 構わないと思っていることを〉と歌い始める。予想に反して、シンプルで、柔らかい曲。今までの彼らは、「君が好き」というただ一言を伝えるために言葉を重ね、緻密に織り上げた曲を用いてきた。でも、今のラッドが胸いっぱいの愛を伝えるために選んだのは、〈言えない〉というただ一言と、穏やかなバンドサウンドに秘めた殺意。君との愛を永遠のものにするためには君に死んでもらうしかない、というあまりにも身勝手で自己中心的な愛をそっと歌う。野田の声があまりにも優しいから、少しだけ背筋が寒くなる。この歌の主人公はおそらく、その感情が殺意であるということにすら気付いていない。純粋な愛は時に、それだけで人を苦しめるのだ。

 

 そのまま、2曲目“実況中継” に入る。“おしゃかしゃま”や“DADA”といった、まくし立てるように歌う曲の系譜を受け継いでいるのがこの曲だ。そういう意味では、分かりやすく「前作までのラッド」をパワーアップさせた曲。〈アジアの島国日本〉で行われる人生ゲームを、神様と仏様の2人で中継する様子を描く。エキゾチックなメロディに纏わりつく音と、神や仏の言葉とは思えないような世俗的な詞が次から次へと押し寄せる。ラッドの詞では、神も仏も人間と変わらない。人間の必死な祈りそっちのけで自らの力を示威しあう神仏の姿は、世界に対する強烈なアンチテーゼであり、アルバムタイトルの「×」の部分に当たるんじゃないだろうか。

 

 でも、待てよ。ここで「×」が出てきたということは、きっとこの後に「◯」と「罪」も出てくる筈だ。そんなことを考えているうちに、初めに感じた怖さは忘れて、新しいラッドの世界に引きこまれてしまう。そういえば、前作も、前々作もそうだった。不安に思うのはいつも、再生ボタンを押すその瞬間まで。ついて行けるかなんて疑問を持ったことすら忘れて、いつの間にか私は4人の鳴らす音に包まれている。

 

 「◯」は意外とすぐに見つかる。3曲目“アイアンバイブル”をはじめ、このアルバムには、今までのラッドには無かった、世界に語りかけるような曲が多く見られる。喜びも痛みも苦しみも全てひっくるめた世界を、それでも〈次の世を生きる全ての人へ/我らの美談も 悲惨なボロも いざ教えよう〉と、分かりやすく明るいサウンドに乗せて軽やかに歌う。『アルトコロニーの定理』の頃から打ち込みに取り組んでいた彼らだが、今作ではこの他にも“パーフェクトベイビー”など多くの曲に効果的に用いられている。クレジットを見ても、野田のパートは今回「Vo., Gtr., Piano, Programming」となっている程だ。バンドという枠に囚われることなく様々な楽器を取り入れることで、ラッドはより広がった世界を表現している。そして、その中に◯を探すかのように明るい音を奏でる。

 

 ゆったりとしたリズムに乗せて青春と友情を歌う“リユニオン”、力強い言葉と音で人生を〈だるまさん転んだの逆再生〉に例える“DARMA GRAND PRIX”と続いて、『×と◯と罪と』は前半最大の佳境を迎える。シングルにも収録され、ファンの間でも物議を醸した問題作、“五月の蝿”だ。

 

 「愛」を表す言い回しは古今東西たくさんある。しかし、こんなに激しい表現はそうそう見られない。“五月の蝿”で歌われるのは、一見、愛とは真逆の感情の爆発だ。〈君〉に対する狂おしい憎しみを5分間にわたって吐露し続ける。ギター、ベース、ドラム、全ての音が、泣き叫ぶように鳴る。だが、過激なまでの想いを吐き出した後、この歌の主人公は〈君は何も悪くないから〉と〈君〉をそっと抱きしめるのだ。〈許さない〉と言っていいのは、こんなに〈君〉を愛した自分だけ。誰かの攻撃から〈君〉を守るのは、常に〈僕〉でなければならない。愛と憎しみは、常に隣り合わせなのである。

 

 呆然としたままの耳にそっと入ってくるのは、“最後の晩餐”。鼓動のリズムのような、温かいドラム。それからインストゥルメンタルの“夕霧”が謎めいた空間を作り出し、途方にくれた聴き手をそっと抱き寄せる。

 アルバムの後半には、優しい曲が並ぶ。筆頭は、2011年のツアー「絶体延命」の際に野田がピアノの弾き語りで披露していた“ブレス”。曲によって色を変える野田の声が、この曲では特に優しく響く。大切な物に恐恐と触れるような、繊細で温かい音。曲の後半は、そこにバンドアレンジによる力強さが加わる。「君と僕」だけではない、大きな世界の中で、それでも〈君〉を愛し続けるという、儚いけれど強い決意表明がこの曲なんだと思う。

 

 もう一曲、とても優しい愛の歌が14曲目の“ラストバージン”。“五月の蝿”と両A面で10月にシングルとして発売されたこの2曲は、初期のラッドを彷彿とさせる。どちらも、たった一人の〈君〉しか見えていない、「君と僕」以外は存在しないし必要ない世界の歌。恋ではなくて、愛を歌ったラブソング。しかし前述のとおり、今作で歌われる「愛」はそれだけではない。たった一人を愛することもまた、あくまで様々な愛の形の一つとして歌われているのだ。穏やかな曲に時折、桑原のギターと野田のピアノが彩りを添える。まるで、曲自体が二人の〈当たり前の日々〉を表すように。ゆったりとした当たり前の中にこそ幸せは隠れており、それを照らすのは常に〈君〉だ。ラッドが奏でる「愛」は、静かに流れ続ける。

 

 言葉にできない想いを歌う“いえない”で始まったアルバムの最後の曲は、〈言葉の針を 抜いてください〉と祈る“針と棘”。掠れた声で歌い始めるが、曲の最後には、壮大なサウンドと野田の確かな声が聴き手の心に刺さった棘をそっと抜き去る。言葉が刺す〈針〉は、いわば「罪」だろうか。ラッドのアルバムの最後の曲は毎回様々な祈りが込められているが、それは今作でも同じだ。童謡を思わせる優しいメロディに〈どうか幸せでありますように〉と祈りを込め、彼らは今日もこれからも歌い続ける。その決意を表すような、それでいて柔らかい終曲で聴き手の心をそっと照らし、大作『×と○と罪と』は終わっていく。

 

 ラッドが歌う世界は、決して素晴らしくなんかないこの世の中そのものだ。〈不景気、為替相場大荒れ模様〉(“最後の晩餐”)とか、〈「お前なんかいてもいなくても」がお得意の 意地悪いこの世界〉(“会心の一撃”)とか。この世界を生きていくのは楽しいことばかりではない。そんなことは分かっているけれど、それでもラッドは何一つとして諦めていない。「愛」で世界を照らして、幸せになろうって歌うのだ。だから、私も信じてみようって思える。嫌なことばっかりで、もう全部やめてしまいたくなっても、それでも幸せになりたいって願いながら、彼らの音楽に希望を託せる。こんな音楽に出会えた、それだけできっと私は幸せだ。

 

 野外ライブ「青とメメメ」で、野田は「きっと死ぬまでとんでもないことがまだまだあると思うけど、思いっきり幸せな世界にすることを諦めないで生きていきましょう」と口にした。「君と僕」だけの小さな世界ではなくて、もっと大きな世界を幸せにしていくことを決めたラッドの、大きな物語の始まりの一幕。きっとそれが『×と○と罪と』というアルバムだと思う。「思いっきり幸せな世界」を作るために、それまでこの世界を愛していられるように。みんながそれぞれ罪を背負い、罰を受けながら、それでも何もかも肯定して○を付けられるように。世界中が幸せになれるその日まで、ラッドは愛を歌い続ける。

 

小島沙耶

tofubeats『lost decade』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

tofubeats『lost decade』

文・林佑

 

 

 正直な話ねぇ、自分の生涯のベスト1アルバムねぇ、わかんないな(笑)。気分で変わることもあるし、10年後とか経って振り返ったとき「そうでもなかったな」とかいうパターンもあるかもしれないしね。だけど、いままで様々な場所で一緒に過ごしてきた友人。例えば音楽ファンではない中高のクラスメイトに「頼むから、絶対に聴いてほしい」と心の底から強く願うのは生涯通じてこの作品だけだろう。その理由は本作収録曲の“水星”と“LOST DECADE”で語っていこうと思う。

 

 1990年生まれ、神戸育ちのトラックメイカー・DJであるtofubeats。まず、彼がどういった人物なのかを象徴している曲をバイオグラフィー代わりに紹介したい。今夜が田中ぁくんという正体不明の人気Twitterアカウントが、宇多田ヒカルの名曲を大々的にサンプリングしたトラック“Local Distance”を同じく関西出身のトラックメイカー・DJであるオカダダと共作で(名義はdancinthruthenights)ラップしたものだ。

 

 《音楽やる友達居なかったけどそんなに困らずに始まった/掲示板に上げてた.mp3 128kbps まだ中2/tipsやhow toググったな無所属のオタクが狂ったわ/ネットのラジオでかかったらそれでメールが届いたオノマトペ/インターネットが縮めた距離をインターネットが開いてく今日も/チャットで話してる時折顔とか忘れてる/なんか踏み切れないし煮え切らない 気持ち都会の人にはわからない/神戸の端から声だしてるけどちょっとログオフしてたら忘れられちゃうでしょ》

 

 中高生が音楽をやるというと、仲間とバンドを組むというのが常道の一つであるが、彼は一人でトラックメイクをするという選択をした。リリックが表している通り誰も楽曲制作をしている人が周りにいないため、ネットの情報を頼りにキャリアスタート。その後公開した音源がネットラジオで流れ、そこをきっかけに今作にも参加しているオノマトペ大臣がmixiでファーストコンタクトを果たしている。ネットシーンから出てきた彼らしい歌詞、ドラマだ。当時を振り返ってtofubeatsは<大体のことはGoogleに教わった感じ。情報は誰かに訊くっていうより検索エンジン。あとはTSUTAYAで借りてくるっいう。だから、ネットとTSUTAYAがなければ今の自分はない>とも話している。

 

 tofubeatsは2013年に森高千里をフィーチャーした『Don't Stop The Music』でメジャーデビューを果たした訳だが、拠点は東京ではなく神戸のままだ。その理由について、関西版ぴあのウェブページで次のように語っていた。

 

〈東京の人に「神戸でもできるぞ、ざまーみろ」っていうのはあります(笑)。「神戸の人が1位獲ったぞ、シメシメ」みたいなのは。「お前らがシーンや思ってたやろ」っていうのはすごいあります。地方にいる人は誰でもあると思うんですけど、「音楽の中心は東京やと思いやがって」っていうのはあります。実際そうなんですが。だから地方にいるっていうのもあります。地方で100がんばらなあかんところを、東京やったら10がんばっただけで同じ数の人が聴くじゃないですか。そういうこととか、もう、めっちゃ思います。〉

 

 このインタビューを眺めたとき、すぐに引用した“Local Distance”の後半部分のリリックが浮かんだ。確かに彼は自身初のオリジナル流通作品である『Big Shout It Out EP』もネットの口コミだけでiTunesダンスチャート1位を獲得し、インターネットレーベルのマルチネレコーズを代表するまさにネットシーンから生まれた時代の寵児、インターネットの人だ。しかし、トラックメイクのルーツにヒップホップクルーのブッダブランド『人間発電所』を挙げており、彼の身体には確実にヒップホップ文化の血、音楽シーンを地理的に見ていくという感性がある。東京という大きな場所にどう投げかけていこうかという姿勢は非常にラッパー的で、むしろネットはツールという立ち位置が近いのかもしれない。これを読んだあなたはモード学園コクーンタワー、高層ビルが立ち並ぶ新宿をバックにしたアーティスト写真を見て何を思うか非常に興味深い。

 

 では、そろそろ今作『lost decade』の話に移ろう。いやぁほんとうにこのアルバムに会えて嬉しい。いよいよ上の世代から何かと馬鹿にされがちな僕ら世代の時代が幕を開けたって思えた。僕はこのアーティストにJ-POPの未来を託したよ。

 

 “intro”は後回し。2曲目の“SO WHAT!? feat.仮谷せいら”から見ていこう。“水星”のミュージックビデオにも出演している彼女をフィーチャーした一曲はまさにキューティーでジッパーなツンデレガールズポップ。シンセリードとボーカルで、聴いてるこっちの心はウキウキ。キックドラムはまさに恋する少女のハートビート。ピュアなラブゲームにソワソワする乙女isやはりカワイイ。アイドルプロデュース業もこなす彼ながらの作詞センスが光っている。続く“ALL I WANNA DO”、アッパーチューンの4曲目“Les Aventuriers feat.PUNPEE”、AAAのメンバーとしても活動し、J−POPとHIPHOPを繋げていく重要な役割を今後果たして行くだろうSKY-HI a.k.a. 日高光啓をフィーチャーした5曲目は共にメッセージ性の強い流れになっている。すぐにラップ=ヒップホップ=ヤンキーという式が成り立ちがちで苦手意識を持つ人も多いと思うが、そんな身を構えて聴くことはない。そして次が前半のハイライトである“m3nt1on2u feat.オノマトペ大臣”のお出まし。ここはもう難しいこといわない!音楽的な手法とか気になったらググれ!その前に踊れ!踊りまくれ!ガンショット最高!自分の部屋をダンスフロアに変えるんだ。家族に乱舞する姿なんて見られたくないでしょ?ドアはクローズする方向でよろしく頼んだ!何もかも忘れて、何もかもぶっ壊せ!現場で聴きたくなったそこの君、一緒に踊ろうぜ!

 

 中盤にさしかかり、“old boys”を過ぎたらクールダウン。至極のラブソング“夢の中までfeat.ERA”、“No.1 feat.G.RINA”、両曲とも身体に深く沈んでいく。パソコンを開いているなら「tofubeats bandcamp」で検索してみよう。そうすると彼のページから『No.1』を開いてメールをすれば無料で音源がゲットできるはずだ。今度時間があるときにtofubeatsが歌うバージョンも聴いてみてほしい。2曲目には竹内まりやの名曲“Plastic Love”のカバーも収録されているのでこちらも欠かさずにチェックしてほしい。

 

 15曲目“水星”。元ネタは今田耕司が歌う“ブロウ・ヤ・マインド”。シンセリードが揺れるイントロ、ミュージックビデオを100回以上再生した身としては目を閉じると神戸の水面が浮かぶ。初めてこの曲を聴いたとき、「自分が探し求めていた音楽があった」という言葉が口から漏れた。オートチューンで加工された二人の歌声は、哀愁を感るアーバンメロウサウンドにまとわりつく。二人の歌声はオートチューンを使ってゼロ年代R&Bシーンを席巻したAkonT-Painのようなクセの強いものではなく、非常に洗練されたものだ。2010年代の“今夜はブギーバック”だ!」とネットで名前も知らない誰かに評された。僕たちは残念なことにブギーバックをリアルタイムで聴いて誰かと踊ることはできなかった。映画『モテキ』のエンディングで森山未來スチャダラパーがブギーバックを歌っているライブの映像が流れて、ほんとに嬉しくて、誰かと分かち合いたかったけど、まわりの友達は知らん顔だった。自らの音楽遍歴を思い返せば、オレンジレンジの2ndアルバム以降大人数で同じ曲を歌って想いを共有することができなかった。僕にとって、J−POPっていうのはもうそういう機能を果たすことができないんじゃないかと9割9分諦めていた。音楽に傾倒すればするほど、アイデンティティを獲得する代償として孤独を感じた。アーティストが自分の気持ちを代弁してくれる曲、もちろん好きだ。しかしその曲が次第に自分の心に作用する力は薄まっていく。そうなるとレクイエム探しは止まらず、また自分の心情にあった曲を求めていく。非常に不毛で不健康だ。だけどこの曲に出会って考えは変わった。確かにこのアルバムは自主製作盤だし、流通面で莫大に聴く人を増やすのは難しい。iTunes storeで買うことはできてもテレビで流れることはない訳で、tofubeatsがキャリアを積んでベスト盤を出したり、所属レーベルが宣伝費をかけて再発売しない限りこの曲は世間に届かないだろう。カラオケのデータだって、DAMにもJOYSOUNDにもない。だけど、自分が住む小さな世界なら話は変わるかもしれない。これが僕がこの作品をライナーノーツの題材にした理由だ。tofubeatsはインタビューで“J-POPは、ジャンルではなくて「人に聴いてもらう音楽」”と話していた。全くその通りだと思う。音楽ファンであろうと、そうでなかろうと関係ない。“水星”という作品をみんなと楽しみたい。みんなっていうのは、例えば高校時代本当に色々助けてもらった男気溢れる目白ボーイ。決して仲が言いとは言えないけど、三年間一緒に過ごした野球部のキャプテン。小学生の頃から紆余曲折ありながらもずっと仲良くしてくれるローボイスガール、ほんとうにみんなだ。

 

 16曲目、表題曲の“LOST DECADE feat.南波志帆”。この曲名の元になっているのはマルチネレコーズ主宰のイベント名。もう気がついたと思うけど“intro”はこの曲とリンクしていて、実際に高田馬場茶箱で開催されたイベントの音源が収録されている。今でこそ、このアルバムのなかで1位、2位を争うお気に入りの一曲になったのだが、最初は南波志帆の歌声が全く耳に残らず、右から左へと通り抜けた。ただ、聴き込んでいくうちに彼女のウィスパーボイスが愛おしくなり、脳内で残響した。この曲は僕たち世代がぼんやり感じている現在の空気感をそのまま5分42秒に閉じ込めたといっても過言ではない。ボーカルの南帆志保は僕と同い年だ。そんな彼女が

 

《ワクワクする瞬間このときを/わすれないで/わすれないで》

 

 と耳元で囁くように歌う。自分の将来なんてどうなってるかなんてわからない。ただ一つだけ分かっているのは若者として過ごせる時間はもう残り短いということだ。だから僕は「今、この瞬間」を精一杯楽しみたい。失われた10年がもたらしたもの、それは「今を楽しく生きる」という選択肢にほかならない。きっとこの曲、10年後に出会っていたら30歳の僕の胸にはそこまで強く響かなかったはず。この間オノマトペ大臣がツイッターで<年を取ることを許されない音楽と、一緒に年を取っていくことができる音楽がある>とつぶやいていた。この曲は前者側だと思う。“LOST DECADE feat.南波志帆”を好きになれたなら、それはこの時代を好きになれたというのに等しい。せっかくだし、2010年代、もっと楽しんでいこうよ。

 

 どうだろう、このアルバムは気に入っただろうか。もし僕と同じように何を感じてツイッターをやってるならマルチネ界隈のアーティストをフォローしてみてほしい。インターネットの空気感、カルチャーショックを受けるかもしれない。自分が居る場所では想像もつかない、もしかしたら異様な世界が広がっているかもしれない。しかし、その世界と自分の現在地はどこかでリンクしているはずだ。きっと、現場にくればわかると思うよ。