音小屋・音楽ジャーナリストコース(小野島講座)

音小屋・音楽ジャーナリストコース(講師・小野島大)の受講生の作品を掲載していきます

クリープハイプ『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』(2012)

クリープハイプ『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』

 

 特別な歌。「私の歌」。デビュー以来発表され
た曲の中でも、このアルバムの収録曲は群を抜い
てパーソナルな歌詞である。クリープハイプのメ
ジャーファーストアルバム“死ぬまで一生愛されて
ると思ってたよ”。

 フロントマン尾崎世界観のものではなく、どこ
かの誰かの歌。けれど、いつの間にか自分の歌に
なるから不思議である。ピンサロ嬢の話か、と思
っていたら”明日には変われるやろか 明日には笑
えるやろか”(M2”イノチミジカシコイセヨオト
メ”)と繰り返す。今度は売れないバンドマンの話、
と思っても”ねぇ君はどう ねぇ君はどう ねぇ君
はどう”(M3”バイトバイトバイト”)。聴いてい
るとピンサロ嬢とバンドマンの不安が、自分の不
安になる。聴き終わる頃には自分のことばかり考
えていて、ピンサロ嬢の話なんてどこかへいって
しまう。そして「私の歌」だと自覚し、聴き終わ
る最後の一言が、優しく愛くるしいものであると
気づく。「元気でね」「スキキライスキ」「嘘つ
いてくれた」。昔話風に言えば「めでたしめでた
し」だろうか。ぽつりとつぶやくような一言は、
溢れてくる気持ちをきゅっと曲の中に押し込め、
「私の歌」を作り出す。その一言で報われた気持
ちになる。空に突き抜けるような楽器本来のシン
プルな音が、さらに歌と私の空間を際立たせる。

 このアルバムを出発点としたクリープハイプは、
メジャーシーンを一気に駆け抜けた。全国ワンマ
ンツアーは完売、フェスでは入場規制、地上波テ
レビ出演、1stシングルはオリコン7位、CMのタ
イアップ。万々歳である。しかし、“オリコン初登
場7位その瞬間にあのバンドは終わった”(“社会
の窓”)と2ndシングルのA面で歌ってのけた。

 あ、また「私の歌」だ。そう感じたファンも多
いだろう。「あのバンドは変わった。昔の方がよ
かった」懐古厨なんて呼ばれたりもする。愛着の
あるバンドの些細な変化は、昔を知るファンは特
に敏感である。そんな「私の歌」をクリープハイ
プは歌う。その後もファンを裏切らない質の高い
楽曲は続き、2ndアルバム“吹き零れる程のI、哀、
愛”では以前よりポップな楽曲が収録された。1st
アルバムとのコントラストによって、バンドの新
たな一面を見ることができた。

  下積み10年。その間、尾崎ひとりになってもク

リープハイプは存在した。光の当たらない時が続
いても、消えなかった。彼らはクリープハイプ
役割を分かっているのだ。そしてファンも分かっ
ている。彼らと私たちの間、そこにあるのはずっ
と前から変わらない「私の歌」という信頼だ。だ
からデビュー2年目の最新のシングルに“エロ”な
んてタイトルを付けられる。

 バンドがどれだけ大きくなっても、クリープハ
イプの「私の歌」は消えないだろう。“死ぬまで一
生愛されてると思ってたよ”そう、私も思ってた。
(伊藤佑里香)

MANDO DIAO『Bring ‘em In』(2002)

MANDO DIAO/『Bring ‘em In』

 新品、新商品よりも、古着とかヴィンテージ家
具のように傷があるものの方が、特別で魅力的に
感じる。音楽に関しても同じ。もとは希少な60年
代もののデニムやら革ジャン。汚れたり、糸がほ
つれたりする。それに愛着が湧く感覚。完璧な音
楽を求める音楽マニアには分かりえない感覚なの
だろうか。MANDO DIAOの1stアルバムは少々
傷アリな超名盤だ。

 グスタフ・ノリアン(vo.g)とビョルン・ディク
スクウォット(vo.g)を中心にスウェーデンで結成
された5人組。1995年には前身バンドを結成し、
4年後に現メンバーに落ち着く。そこから地元ホ
ーレンゲでライブを行うようになる。次第に注目
され、EMIと契約し2002年には1stアルバム『ブ
リング・エム・イン』をリリースする。

 イェーイェーイェーッ!!と、若さと衝動をま
き散らしながらも、サビを中心に哀愁を漂わせる
サウンドが融合されたロックンロールナンバー
M1“Sheepdog”。彼らがバンドを始めたきっかけ
は「退屈な田舎町を飛び出したい」との衝動から
きたものだ。俺たちについて来い、そう羊の番犬
がいうように、MANDO DIAO自身がその時代の
先頭を切っていこうとする姿勢が全面に出ている。
だが、その思いが時に技術面に影響をきたすこと
もある。勢い余ってリズムにズレが生じてしまう
のだ。ファーストだから仕方がない?演奏は数を
こなせば上手くなるもの?いや、そういうことじ
ゃない。荒々しくて、ぐちゃっとなってしまって
も抑えきれないこの衝動的なサウンドがなければ
『ブリング・エム・イン』はここまで傑作と評さ
れていないだろう。それが彼らの味なんだから。

 彼らはオリジナルなインスピレーションはビー
トルズによるものだという。それが顕著に表れて
いるのがM13“SHE’S SO”。中期ビートルズを彷
彿とさせる、色彩豊かなサウンドをベースにサイ
ケデリックなナンバー。高速リフで駆け出す
M2“Sweet Ride”、疾走感たっぷりのロック寄り
のポップソングM5“The Band”などキャッチ—な
楽曲とはジャンルすら超えている気もするが、ど
れもMANDO DIAOらしさが色褪せていない。グ
スタフの息継ぎさえも聞こえるほど力強い歌声と、
一変してビョルンの愁いを帯びた渋い歌声。柱と
柱にある程度の距離が存在することで、彼らの音
楽にさらなる可能性を与えているのではないだろ
うか。

 1stを聴いた時の強い衝撃は2nd以降では現れ
なかった。なんとも落ち着いてしまった感が否め
ない。それが大人っぽいビターな雰囲気を匂わせ
る5thに繋がったようにも思えるが。しかし現在、
MANDO DIAOは、電子音とシンセを駆使したエ
レクトロポップバンドへと化した。いったい彼ら
はどこまで進化していくのだろう。結成から20年
という月日が経った今、『ブリング・エム・イン』
を聴く。なんといっても若さ、勢い、衝動が際立
つ。そこで生まれる傷に心を奪われた。一度愛着
が湧いてしまうと、その思いは時が経つごとに増
すばかりだ。まさに古着のように。(長嶋 桃香)

 

root13.「窓際/少女/水槽/2月」(2011)

root13.「窓際/少女/水槽/2月」

 人との別れは、突如やってくる。そして、それ
は、気が付いたときには、もう手の届かないとこ
ろに行ってしまう。どこかで、終わりが来ること
が分かっていても、今を大切にできないときがあ
る。

 大阪を中心に活動している、男女ツインボーカ
ルのスリーピースバンドroot13.。自主制作作品
から、ボーカルのオオタケンイチの手書きによる
歌詞カードとイラストレーターのフクザワの絵が
CDを手に取った瞬間から、root13.の世界へと誘
う。root13.の世界は、オオタケンイチの創り出
す純粋で一切の穢れのない青い世界である。青い
純粋な気持ちを持ち続けているオオタケンイチが、
その気持ちを言葉にし、その言葉がナカジマサキ
の優しいベースと透き通ったコーラス、ハタケヤ
マシュウスケの奏でる的確で温かいドラムの音と
化学反応を起こし聴くものの心に直接伝わる。

 root13.の歌詞は、’’リリィ’’という、八年前
の二月の朝、僅か17歳という若さで自ら命を絶つ
ことを選んだ少女を中心に描かれている。そのた
め、儚くも短い命の中で無駄にして良い時間は、
一秒もなく、生きている一瞬一瞬がいかに大切で
あるかを鮮明にする。『曖昧なディア』では、<
いつか遊ぼう なんて言わないで 今この手に
 触れて欲しいから 何にも与えられないけど 
なんとなくそこに居ていいかい?>「いつか」と
いう言葉は、曖昧であり、いつかが来ない場合は
いくらでもある。いつかって言うならば逢えてい
る今を大事にしたい、して欲しいと思う気持ちを
歌う。また、『リリィ』では、<二月の朝の事
 守れなかった事 僕はなんで 時々思い出せな
くなるんだろう 「いつか話そうよ」なんて「ま
た会えるよ」だなんて 僕らいつも騙されたフリ
して〉「いつか話そうよ」「また会えるよ」と約
束したのに守ることができずに別れがきてしまっ
た。「いつも」「また」という言葉に騙されて結
局叶わない。そういうことは、生きている中でい
くらでもある。しかし、出来ることなら、「いつ
か」や「また」でなくて今をもっと大切にしよう。
いつ死ぬかわからないし、いつ関係が破綻するか
わからないから。これらの気持ちは、生まれたと
きは誰もが持っているのに、いつしか忘れてしま
い、適当になってしまう。それは、また次がある
という経験をしてしまうからである。そして、絶
対あると言い切れない次を過信してしまう。しか
し、終わりは、突然来る。気が付いたときには、
もう取り返しがつかない。だから、まだここにあ
る今を大事に大切にして欲しい。それこそが、穢
れのない純粋な青い世界なのだと思う。

 オオタケンイチがライブの際に毎回大切に言う
言葉がある「見つけてくれて、ありがとう。選ん
でくれて、ありがとう。そこにいてくれて、あり
がとう。」この言葉こそがroot13.というバンド
のすべてを物語っている。(三島翼)

真空ホロウ 『contradiction of the green forest』(2009)

真空ホロウ『contradiction of the green forest』

 「1stアルバムが一番良い」。こんなセリフは
たとえファンの率直な本心だったとしても、アー
ティストたちからしたら何の褒め言葉でもない。
「あなたたちのキャリアに更新性は無かった」と、
告げるようなものだからだ。だがそれを承知であ
えて断言したい。真空ホロウというバンドの最高
の1枚は、インディーズ時代の1stミニアルバム
『contradiction of the green forest』であると。

 真空ホロウは2006年結成、2012年ミニアルバ
ム『小さな世界』でメジャー・デビューした、茨
城県出身のスリーピース・バンドだ。今年の2月
には1stシングルを発表している。そして本作は
インディーズ時代の2009年に発表された、彼ら
にとって初のフィジカル作品である。

 この作品はメジャー以降の作品と比べると、録
音や演奏自体にはまだ拙さが大いに見える。だが
それをあまりある魅力を提示してくれていた。仄
暗く這いつくばるようなムード、妄想と現実が混
ざり合ったような歌詞、エモーショナルなのに冷
めた質感の上がりきらない歌唱と楽曲、それらが
王道のギターロックの中で渦になっていた。そう
僕は彼らの中に、リアルタイムで追うことのでき
なかったsyrup16gの影を見たのだ。

 そしてサビの部分で、〈君みたいになりたいん
だ〉と繰り返す“I do?”が名曲。アルペジオが内
省的な空気を包む一際落ち着いた曲だが、サビの
ときだけバンド・サウンドがそっと盛り上がる。
そこで独白するのだ。〈君みたいになりたいんだ
/そうすれば僕は/君のヒーローになれるか
な?〉と。脚色も装飾も無い無力ゆえの孤独が、
粗さの残るサウンドとそっくりリンクする。「誰
かのための自分じゃない」とか、「君は他の誰で
もないかけがえのない個性」だとかいうセリフが、
あらゆる創作物の中で得意顔で跋扈するが、不意
に願ってしまうのはいつだって、自分以外の「誰
かみたいになりたい」という愚かでか細いもので
ある。

 決して明るくはなくとも、偽りの無いこの曲に
少しの光を感じた。そしてその陰鬱の中から微か
に漏れ出す発光が、かけがえのないものに思えた
のだ。それはまるでレディオヘッドの“クリープ”
のようでもあるし、THE YELLOW MONKEY
の“JAM”のようでもある。若さゆえの幼稚な虚無、
そこからしか見いだせないものがあるのだ。

 現在の彼らは疾走感のある曲や、ライブで身体
を揺らせる曲も増えた。それをよりポップになっ
た、と言われればそれまでだ。だが歌詞やその歌
唱と最もマッチして、コンセプチュアルな世界観
を形成したこのアルバムが、彼らの唯一の佳作だ
と思っている。ジャケットも深緑に覆われた怪し
い今作から、メジャー以降はどれも顔を隠した女
子高生。曲と歩調を合わせるように、陳腐になっ
ているように思えてならない。まだ若手である彼
らに評価を与えるのは尚早で無意味なことではあ
るが、この1枚を超えられる気配は今は無い。
(黒田隆太朗)

Vampire Weekend『Vampire Weekend』(2008)

Vampire Weekend『Vampire Weekend』 

 アーティストは音楽のみならず、ファッション
や、言動により何がしかのイメージを抱かれる。
それらのイメージを排除して、純粋に音楽だけを
評価することに一体何の意味があるだろう。言わ
ずもがな彼らが音楽を規定する価値観は、同じく
音楽以外のイメージにおいても働きかけるのだ。

 ヴァンパイア・ウィークエンド(以下:VW
は現在のアメリカを代表するバンドの一つだ。
2008年発売の1st「ヴァンパイア・ウィークエン
ド」は世界累計で100万枚を売り上げ、2010年
発売の2nd「コントラ」、2013年発売の3rd「モ
ダン・ヴァンパイア・オブ・ザ・シティ」はどち
らもビルボード200において1位を獲得している。
彼らの魅力は、アフロビートからクラシック音楽
に至るまで、ジャンルレスに取り込んだごった煮
のサウンドと、英文科出身のエズラ・クーニグ
(Vo / Gt)によるコンテンポラリーな歌詞だ。
一般のリスナーのみならず、多くの音楽メディア
からも高く評価されている。

 しかし、音楽性のみでは大ヒットや熱狂には繋
がらないのが現代だ。メインストリームはヒップ
ホップやR&Bが集中し、ロックのヒットもモンス
ターバンドと呼ばれる大物に限られる。DIY精神
をもって、わざわざインディレーベルと契約する
若者たちには充分に考え尽くされたことだ。
 
 VWはデビュー時からファッションやアートデ
ザインなど、ビジュアルイメージに拘りを見せて
いた。ボタンダウンシャツにニットという、いか
にも大学生めいた服装はロックバンドのイメージ
とはかけ離れている。また1stのジャケットも、
インスタグラム調のシャンデリアの写真にバンド
名のクレジット。まるでファッションの広告だ。
歌詞カードもページ毎にベネトン風のカラフルな
配色がなされている。ともかくバンドは自分たち
のイメージをお洒落で固めた。何でもアリの音楽
性が、幅広い教養とセンスの良さに解釈され、ル
イ・ヴィトンやらオックスフォードやらいった言
葉選びも、プレッピーなイメージと相性が良く、
今っぽさに受け取られた。この強烈なイメージ戦
略により、VWは本国のみならず、世界中を熱狂
させることとなったのだ。しかし、イメージを音
楽に結びつけることのできないリスナーは反感を
抱き、彼らに中傷を浴びせた。そこを分岐点に
2nd以降はイメージよりもコンセプト色を強めて
いく。

 無論音楽としての完成度は1stよりも2nd、3rd
が高まっている。しかし、1stは音楽以外の部分
で、その音楽を膳立てする試みがなされたという
点で画期的だ。僕には2ndにおける内省的なムー
ドや、3rdにおける視野の広さを成長と捉えるリ
スナーの中には、いつだって1stの陽気で大胆不
敵な若者像があるように思える。音楽を音楽だけ
で評価する時代はとうに終わっている、それに気
付かせてくれたのがこのアルバムだった。
(廣野佑典)

miwa『gutarissimo』(2011)

miwa『gutarissimo』

 少女が大人になる瞬間を見たことがあるだろう
か。あどけない笑顔や弱々しい涙がどこか力強く
なり、凛として前を向く一瞬である。少女はいつ
まで少女でいられるだろう。大人になりたくなか
った高校生の頃の私は、そんなことばかり考えて
いた。


 シンガーソングライター・miwa。2010年に19
歳でメジャーデビューを果たし、5枚のシングル
リリースの後、2011年にファーストアルバム
『guitarissimo』を発表。アコースティックギタ
ーを抱えた身長149cmの愛らしいシルエットが
シャープに象られていくような、瑞々しさと温も
りに溢れた1枚だ。


 アルバムは、当時20歳の彼女ならではの様々な
表情を捉えた楽曲が詰め込まれている。朗々とし
た歌声とアコギの豊かな音色が高い密度で相俟っ
て、どうにも心地いい。別れの切なさや未来への
不安といった普遍的な感情を、飾らない言葉で紡
いでいく。そしてその全ての楽曲に脆さと柔さが
宿っているのだ。デビュー前に書いたという「つ
よくなりたい」が象徴的。高校生になったばかり
の15歳の頃の私にとって、それはどこまでも共感
の対象で、彼女の等身大の温度感にどこか安堵し
たことを覚えている。


 miwaの歌詞は、あなたという存在にとても自
覚的である。現在もその姿勢は変わっていない。
しかし、その距離感と心情の関係はあの頃と少し
違ったように感じるのだ。少女漫画のような物語
性があり、そばにいるから幸せとか離れるのが寂
しいとか、そんなストレートで主観的な感情が渦
巻いていたファーストアルバムに対し、距離が離
れていても同じ方向を向けるような、背中を押し
てくれるような、そんな楽曲が増えている。この
確とした成長が、ここ数年の女性シンガーソング
ライターブームの中で、miwaが突出した存在で
あり得る理由ではないだろうか。シンガーソング
ライターの歌詞に共感を求める同世代リスナーは
とても多いように感じるが、その先を行く感情の
共有を引き寄せる彼女のソングライティング能力
の高さは、今後も大きな魅力として輝くだろう。


  今、miwaは24歳になった。〈I don’t cry
more〉(“don’t cry anymore”)と叫んだ少女は、
〈きっと涙の数だけ花は大地に咲き誇る〉
(“Delight”)と前を向いて語りかける。最新アルバ
ムではエレクトロサウンドやラップなど新たな音
楽性を取り入れ、ライブではライトハンド奏法で
フライングVを弾きこなす彼女は、アーティスト
として本格的に翼を広げはじめている。


  少女はいつまでも少女ではいられない。いつか

は大人になるし、それに伴って忘れてしまう感情

もあるだろう。もちろん私たち聴き手も同様で、

今18歳になった私の中で、今作はあの頃とまるで

違って響いている。しかし、再生ボタンを押せば

あの頃の感情が蘇る。もう一度押せば前に進める。

iwaの曲を聴いていると、彼女と一緒に大人に
なるのも悪くない、そんな気がしてくるのだ。
(柴沼千晴)

Godspeed You! Black Emperor『F♯ A♯ ∞』(1997)

Godspeed You! Black Emperor『F♯ A♯ ∞』

 決して聞き易いアルバムではない。一曲も非常
に長い。ただその楽曲には、世界や常識に抗って
いく確かな魅力がある。


 彼らの1stアルバム『F♯ A♯ ∞』は、私たち
の「感情」そのものを表しているようだ。街頭の
雑踏のフィールドレコーディングや、未完成の舞
台の台詞の一部のサンプリングから始まり、繊細
なヴァイオリンやチェロの旋律がゆっくりと真夜
中のさざなみのように重なり広がっていく。その
さざなみがギターやノイズを巻き込み、唸り、轟
音で響くシンフォニーになる。そして、響き渡っ
たシンフォニーが解体され、また穏やかに無にか
えっていく。


 特に「East Hastings」が魅せる真夜中の激
情が夜の海にとけていくさま全てを描いたような
楽曲は、彼らの作品の代表例だ。心の昂りから、
鎮静までの全てを表すには、5分やそこらでは短
い。1曲20-30分程度のこの長さが適切で、心地
よい。


 このアルバムは63分27秒で3曲となっている。
交響曲のようなその構成はその後の作品にも変わ
らず引き継がれ、2ndアルバムの「Storm」に見
られるような天使が黙示録のホーンをかき鳴らす
ような壮大な楽曲に結実されていく。その構成は
最新作でも基本的には変わっていない。


 『Godspeed You! Black Emperor』(以下、
GYBE)は、1994年カナダで結成されたバンドだ。
当時のメンバー構成は、3人のギタリスト、2人
のベーシスト、2人のドラマー兼パーカッショニ
スト、ヴァイオリニスト、チェリストの計9名。
バンドというよりむしろ楽団と呼ぶのがふさわし
い編成。しかもLIVE中にプレイヤーが一曲の中で
必要に応じて演奏する楽器を変更することでより
多彩でスケールの大きな演奏を実現している。


 2003年に活動休止するが、2010年、ALL
TOMORROW'S PARTIESで復帰。そのイベント

の出演アーティスト自体も彼らが選出した。

 

 彼らの楽曲、アートワークに配される社会的な
メッセージもバンドの姿勢を表している。曲名に
大量虐殺を推進した参謀総長の名前を冠し、アー
トワークは軍事産業と音楽産業の関係性を暗示す
る。


 彼らの音楽は一度聞いたら忘れらないようなキ
ャッチーなメロディとは無縁だ。


 映像アーティストのヴィンセント・ムーンの言
葉を借りれば世界はそもそも、整理もされていな
ければ、見て2秒でわかるようなものでもない。
にもかかわらず映像はTVの呪縛が強くあまりに多
くのシーンで映像はそうあるべきだと強制されて
きた。音楽にも同じことが言えることではないだ
ろうか。そして、GYBEはそのような音楽の扱わ
れ方にずっと反旗を翻してきたのではないか。


 GYBEは聞き手に真摯に音楽と向かい合うこと
を求める。そして、そのような姿勢のあるリスナ
ーにだけ、福音を与える。(丸子宏幸)