音小屋・音楽ジャーナリストコース(小野島講座)

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きのこ帝国『渦になる』

音小屋第6期音楽ジャーナリストコース 最終課題「生涯のベスト・アルバムのライナー・ノートを書く」

 

きのこ帝国『渦になる』

文・黒田隆太朗

 

 出会いたかったバンドにようやく出会えた。そう思った。ただひたすらに惹かれた。

 

 昨今のフェス全盛に伴った踊れる「だけ」の音楽、リア充全盛の上っ面だけのコミュニケート能力重視の音楽。それらに疲れを感じていた僕には、このバンドのゆらぐサウンドスケープは確かな求心力を持って響いた。マイブラやライド、はたまたスローダイヴなどの90年代シューゲイザーサウンドが、隔世遺伝してきたようなサウンドとメロディ。諦念漂う歌詞に鬱屈とした雰囲気の楽曲群。そして無垢で中性的な佐藤のヴォーカル。そのどれもが心地良かった。そしてデビューした年に2度ほど見たライブで、この出会いを確信する。MCもほとんどなく取りつかれたようにただ演奏している姿と、そこから生み出される感傷的なサイケデリア。澄んでいると同時に、冷えきっていた佐藤の声。おおよそ気休めのポジティビティなどは全く通用しないであろう、彼女たちが生み出す音楽に惹かれた。

 

 簡単なバイオグラフィーは以下の通りである。結成は2007年でメンバーは佐藤(Gt,Vo)、あーちゃん(Gt)、谷口滋昭(Ba)、西村“コン”(Dr)の4人。2008年頃から本格的にライブ活動を開始。そして2012年5月、本作『渦になる』でデビュー。2013年に入ると、2月に前作からわずか10ヶ月という短いスパンで1stフルアルバム『eureka』を発表し、12月には1stEP『ロンググッドバイ』を発表とデビュー以降精力的なリリースが続いている。

 

 そして『eureka』と『ロンググッドバイ』では、期待値を大きく上回る飛躍を遂げ、自分たちが信頼に足るアーティストであることをまざまざと証明してみせた。この2枚でこのバンドの魅力に舌を巻いたリスナーも多いのではないだろうか。2枚とも曲のクオリティもさることながら、より磨きがかかった強固なアンサンブルで洗練された音を聴かせていている。特に『euraka』はケチのつけようのない名盤。表題曲でもある〝ユーリカ〟は、サイレンのようなギターの音で始まり、つんざくように上から降りかかってくるギターノイズと足元を埋め尽くしていくようなベースが絡み合って、混沌を聴く者の眼前に炙り出す。奏でられる音は危うさを湛えているが、最後に≪ゆこうよ その先の明日へ 明日へ 明日へ≫と、イノセントな声で天に向かって放つように歌われることで光が見える。狂気と祝福の光が同居した強大なアンセム。「eureka」とはギリシャ語で「見つけた」「解けた」などといった意味の動詞だが、何か新たな音楽の境地でも見つけたのではないかと、愚考してしまうほどに大きな1枚だった。

 

 海外では昨年マイブラが22年ぶりに新作を発表し、今年の1月には1995年に解散したスローダイヴが再結成を発表。今またシューゲイザーの波が再び来る気配が嬉しいし、ならば日本のシューゲイザーシーンの中心にはきのこ帝国がいてほしい。この国の未来になってほしい。そう素直に思えるほどに昨年リリースされた2枚の作品は良いものだった。

 

 しかし誰かに「きのこ帝国で1番好きな作品なに?」と聞かれたならば、僕は迷わずデビューミニアルバムの『渦になる』を選ぶ。それは単にこの1枚が、僕とこのバンドとの出会いだからというわけではない。この1枚にはプリミティブな感情の数々が、あまりにも無防備に晒されているからだ。氾濫する轟音に、埋もれることなく吹き上がる、どうしようもない負の感情。とても窮屈で不自由そうで、焦燥しているような、そんな閉塞感を強烈に放っていた。言うまでもなくこれは、技術や曲のクオリティの向上などでは到底獲得しえない宝石である。

 

 そしてここで感じ取れる情念のほとんどが、若者特有のものでやがて失われていくものだと容易に確信できた。この先光や救いを見出して、今度はそれがそのまま音楽に反映されていくのだろうと。実際『euraka』や直近の『ロンググッドバイ』では、暖かな開放性と充実感を感じさせられた。つまり僕はこの『渦になる』という作品に、刹那性を感じたのである。それを僕は、この上なく愛おしいと思った。

 

 

 そんな『渦になる』は“WHIRL POOL”の瑞々しいギターノイズと、それに連れられるようにして鳴り始める轟音で始まる。そして透明で無垢な声で歌いだす。

 

仰いだ青い空が青過ぎて

瞬きを忘れた

いつか殺した感情が

渦になる 渦になる

(“WHIRL POOL”)

 

 けたたましく鳴り響く轟音と、低温の声で歌われる≪いつか殺した感情が渦になる≫というフレーズ。押し殺していたものが発露を求め、ノイズとともに疼きだす。嫌いな人へ向けて書いたという“退屈しのぎ”。単調なベースとドラムが虚しさを湛えてる。また8分という長尺の中で轟音と静寂を行き来する様は「モグワイ以降」のポストロックを思わせるが、モグワイの楽曲にはカタルシスがあるのに対し、この“退屈しのぎ”は一貫して灰色の空気が漂う。これがこのアルバム全体のトーンである。灰の中で≪憎しみより深い幸福はあるのかい≫という歌詞だけが黒光りしている。

 

 抒情、惰性、諦念、寂寞。渦になる。渦になる。渦になって、消えていく。そんな観念的なことを、漠然と思った。イメージが押し寄せる。冒頭の2曲で完全に持ってかれた。だが次の “スクールフィクション”で突如として表情を変える。内に押し殺していた感情を爆発させながら、加速をつけて走り出すギターの音。それまで虚無的だった佐藤の声に熱が帯びる。

 

重ねて歪めて蔑んで尊んで

寄り添って犇めいて

悩んで悔んで迷って息殺して

生きる意味を探している

探してゆく

(“スクールフィクション”)

 

 これは“スクールフィクション”のサビの部分であるが、この曲は最後に≪生きろ≫と佐藤が切迫したように強烈に叫んで歌詞を終える。自己嫌悪の念と胸を掻きむしる様に吐き出す言葉。そこに垣間見える生への執着。まるで自分自身に言い聞かせ煽るようなその声に、胸が熱くなる。これがこのバンドの本質をそのまま具現化させた曲なのだとしたら、なんて強烈な自画像だ。「生きろ」と叫ばれることで無意識に連想してしまうその逆の概念。死色を孕んで駆けるシューゲイザー。堪らない。何度聴いたか分からない1曲だ。

 

 続く“Girl meets NUMBER GIRL” は、“スクールフィクション” 同様きのこ帝国の中ではかなりアップテンポな曲。まずタイトルが最高だし、この曲に至ってはアウトロの泣き喚くギターのディストーションがカッコ良過ぎる。きのこ帝国はBPM遅めの曲が多いが、『eureka』に収録されている“国道スロープ”含め、このバンドのこちらの側面も佳曲が多い。またこの2曲を聴いたとき、ガールズの名盤『アルバム』に収録されている“モーニング・ライト”を真っ先に思い出した。僕はこういう疾走するキャッチーなシューゲイズソングが大好きみたいだ。

 

 ここでアルバムの空気が元にかえる。波の(ような)音だけを背に、一際静かな佐藤の歌で始まる“The SEA”。≪許されたいから許すのは間違った思想≫と、内省の海に潜る。テンポも遅く殺風景な曲で、音数の少ない静寂が蠱惑的だ。先ほどまでの火照った身体が空しい。この曲が薄暗いトーンの曲であるが故に、続く“夜が明けたら”のイントロのアルペジオが良く映える。淡い光が差す、このアルバムのハイライトである。≪最近は髪も爪も切らず 復讐もガソリン切れさ≫、≪復讐から始まって終わりはいったい何だろう 償いきれない過去だって決してあなたを許さないよ≫、≪今まで傷つけたぶんだけ いつか誰かを救るなるわけがないだろう≫という、これらのフレーズが妙に感動的に響くのは、これまでの展開ゆえだろうか。

 

 それにしても、静けさの中で強烈な個を放つ佐藤の声は凄まじい存在感である。このバンドの音楽の中心は、間違いなく彼女のボーカルだ。静寂も喧騒も、彼女が歌えば一瞬にしてバックサウンドに変わってしまうような、そんな存在感がある。きのこ帝国には「この国の未来になってほしい」と先述したが、その所以もここにある。これはきのこ帝国の全作品に共通して言えることだが、このバンドの楽曲には確かに日本特有の歌心がある。つまり、親しみやすさがある。このことに関して彼女たちがどこまで意識的かは定かではないが、過度な洋楽志向に陥ることを図らずも回避して、結果サウンドと歌の両方を豊かに響かせることに成功している。

 

 そしてこの“夜が明けたら”の最後に歌われることこそが、このアルバムの全ての結論であろう。

 

夜が明けたら

夜が明けたら

許されるようなそんな気がして

生きていたいと、涙が出たのです

(“夜が明けたら”)

 

 これこそが、このバンドに僕が感じた刹那の正体なんだと思う。「生きていたい」。己が抱く諦念に、反発するように浮かび上がる生への執着。ただ溢れ出す、かけがえのない激情。『eureka』で見せた恍惚なノイズじゃなくて、『ロンググッドバイ』で見せた暖かなサイケでもなくて。ここで見せているのは、摩耗していく思春のリアルなのである。許し許されることで新たな「生」を掴まんとする願いなのである。だからこそ愛しいのである。

 

 もの寂しさが沸き立つギターが聴こえてくる。今作の最後の1曲であり、最長の8分40秒を超える“足首”のイントロだ。「終わりはいつもこんなもん」、とでも言わんばかりに漫然と曲は進む。穏やかに進む。これは諦めた者ではなく、受け入れた者の境地だろうか。そしてこんなときにもベースとドラムは、何事も無かったかのようにタフに刻まれる。だがいくばくかの虚しさを感じながらも、何かを得たような気分である。曲は次第に駆け足になってゆき、轟音が全てを飲み込んでいく。隙間から漏れてきた最後の声も、フィードバックノイズの渦の中に消えてった。

 

これでお終い。

これが始まり。

痛みの結晶。

 

鈍色の傑作。

 

 

黒田隆太朗